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精神科は「ふつう」になるために行くところ?

わたしは双極性障害の疑いで、現在デパケンを試している33歳です。
ASDとADHDの小3女の子とADHDの小1男の子もいます。
そんなわたしが大きな気付きをもらった動画を紹介します。


精神科医YouTuber益田せんせいVSアスペルガー田中くん

この動画です!
アスペルガーの田中くんが、精神科医YouTuberである益田先生に殴り込みに行くという設定の対談でした。
精神科って何?精神科ってどんな人が行くの?など、
・精神科にまつわる疑問
・精神病とはなにか?
・「ふつう」とはなにか?

そんなことがわかる動画になってます。
コメント欄にもフムフムと思うようなことが書いてあるので、ぜひそちらもじっくり読んでみることをおすすめします!

わたしがこの動画で一番よく分かったこと

「ふつう」ってなんだろう?

それはズバリ
「ふつう」=「社会に適応している」
ということ。

現在、発達障害が多く注目されていますが、それはなぜか。
「発達障害」=「ふつうではない」=「社会に適応できていない」ということ。

コロナ渦前は「適応障害」が多く問題になっていたそうです。
それは残業が多くて病んで行く人が多かった一方、仕事が出来ない人も残業することで仕事を終えたり先輩や上司に教えてもらうことで解決していけていたそうです。

しかしながらコロナ渦になって残業ができなくなり、限られた時間でスピードが求められるようになりました。
ほかにもAIなどが発達し、より高度な能力が求められるようになっています。
そんな中で発達障害の人はますます社会に適合できなくなっていってしまいました。

精神科は病気を治すところではない!?

精神科医YouTuber益田先生いわく、
「精神科医は社会に適応するために必要な交通整理をする人」
と言っていました。

精神病を治すためには投薬治療のほかに「認知の歪み」を治すことが必要とも言われています。
その「認知の歪み」は「社会に適応するため」の治療である。

というようなことを対談で汲み取りました。

しかしながらアスペルガーの田中くん、「認知の歪み」を治されたくない、というような発言をするんですね。
そうなるといくら精神科に通っても認知の歪みは治らないし、社会に適応することもないし、精神病が改善されることもなく、生きづらさが改善されることもないですよね…。

でも反対に、「ふつうになりたい」「社会に適応したい」と思う人は積極的に精神科に通うといいのかもしれません。
よく「こんな軽い症状で精神科行ってもいいのだろうか?」と悩む人も多いですが、そういう人こそ出向いてみるべきです。

精神病を治すのは自分の意思

わたしも最近分かってきましたが、
「精神病は精神科医に任せておけば治してくれる」
というのは間違いということです。

なぜなら、自分に「治したい」という強い気持ちがなければ「認知の歪み」も治ることはなく、投薬治療も進んでいきません。

反対に、自分が辛くなければ精神科に通う必要もないのでしょう。
しかしながら、自分は良くても家族や周りの人たちが治療をしてくれないと大変です…。
しかも犯罪犯してしまうような状態であれば入院が必要になってきますよね…。
そのあたりは難しいところです…。

「ありのままでいい」という本当の意味

アナ雪のエルサが歌っていることで有名な「ありのままで」という言葉。普通でなくてもいい。みんなちがってみんないい。今の時代はそれが許されるようになり、受け入れられるようになりました。
それでも人は生きづらさを感じている…。それはなぜなのでしょう?
私の主観から考察してみました。

生きづらさとはなにか?

わたしも若い頃はアスペルガー田中くんのように「物事の真理を追究する」みたいな人でした。
本当の優しさとはなにか?とか、本当の美しさとはなにか?とか、なにかを達成するにはストイックに努力してこそ美しい…とか。
生きやすさとはほど遠い考え方や生き方をしていました。

でも、「ふつう」の人はそんなこと考えて生活してないんですよね。
たいていの人はやるべきことはやりながらも、自分が疲れない程度に息抜きしながら生活しているんです。
「自分の機嫌は自分で取る」というやつですよね。
それができる人が「ふつう」であり「社会に適合できる人」だなあと思います。

社会によって変わる

この2人の対談動画を見ていて思ったのは、「社会」によって生きやすいか生きづらいかが変わる、ということでした。
今、「定型」と呼ばれているひとたちも、「社会」が変われば生きづらさを強く感じる生活になるかもしれない。

反対に言えば、「社会」が変われば「社会に適合できない人」も生きやすくなるのでしょうね。

生きづらさを失くすには

ふつうであるかないか。人よりできないことが多いこと。それを自分が受け入れて気にしなくなることで、生きやすくなるのかもしれません。
そこが一番難しいですが、「ふつう」とは「社会」によって左右されると考えれば、少なくとも自分はダメ人間で人として欠落した人間なんだと考えるようなことはなくなるはずです。

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