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どうか友達でいて欲しい〜乙武さんの記事を読んで思うこと〜

こんばんは。
ちっちょ@OIです。

今朝、Twitterのタイムラインにて、乙武さんのツイートに目が止まりました。

障害当事者としてあらゆる活動をされ、また大いにご活躍されている乙武洋匡さん。

今更ながら、乙武さんがnoteでも執筆なさっていることを初めて知りました。
恐縮至極でございます。

先日亡くなられたタレントのryuchellさんに向けてのこちらの記事。

私自身、今回の一連の出来事を受け、様々な事を考えていました。

けれど、それを決して言葉にする事は出来ませんでした。

語彙力がない自分には、こんな悲しい出来事に、何故そうなってしまったのかも薄々は分かっているのに、それがどうのこうのと言う事が出来ないからです。

だけど、この乙武さんの記事を読んで、少し思う所がありました。

雲の上のような存在の(という表現もまた語彙力の無さを痛感)乙武さんご本人の目に止まることは決してないでしょうが、シンプルに、どうしてもお伝えしたい事をまず書きます。


どうか、そんな悲しい事を仰らないでください。

私は「友達になれたらいいな」と思う人が現れたとしても、なかなか相手との距離を縮めようという気持ちにはなれません。

だって、自分はそう願っていても、私自身が障害者だから、共に行動し始めたら相手に負担をかける場面が多いだろう、いつかきっと迷惑な存在になるだろうと、そんな風に想像してしまうからです。

仲良くなりたい人が現れても「仲良くなりたい!」というアピールをする時点で、相手に負担をかけるフラグを立てるようなものと、咄嗟にそんな事を考えてしまうのです。

そんな自分だからこそ、先日つぶやいた職場の後輩さんとの出来事は純粋に嬉し過ぎて、家に帰って後輩さんにお礼のLINEをしてしまう程の素敵な思い出になったのです。

ワタシ事で話が逸れてしまい申し訳ありません。

ここからの話はあくまで今回の乙武さんの記事を拝読した限りで申し上げるので、ryuchellさん側の発信をあまり見ていない前提となりますこと何卒ご容赦ください。

乙武さんは記事の中で、昨年のryuchellさん自身のカミングアウトがあった直後のやり取りを振り返り、乙武さん自身がryuchellさんのSOSを気付けなかった事に対して悔やしい気持ちを吐露されています。

たしかに今、そう考えればそうとも取れるかも知れません。

ただ・・・

当時、ryuchellさんから送られた乙武さんへのメッセージには「今は会えない」という気持ちと、文末にて乙武さんを気遣い距離を取ろうとしているニュアンスが、オブラートよりも分厚い何かとして、SOSのサインを包み隠してしまっているように見えました。

ryuchellさんの乙武さんに対する気遣いが、メッセージ全体をそんな構成にしてしまっているようにも取れました。

でも乙武洋匡さんは、とても賢い御方です。

きっと、その時の乙武さんも、ryuchellさんのSOSをうっすらとでもキャッチしていたとは思うんです。

ただ、その時のryuchellさんの状況、メッセージの文面、諸々を配慮した上で乙武さんなりにベターな返事をした結果が、今の乙武さんの後悔のコメントに繋がっているのだろうなと、勝手ながら私はそのように感じ取りました。


きっと乙武さんだって、乙武さんなりに「友達」としてryuchellさんの事を気遣っていたんですよね。

乙武さんは記事の中で、これまでのryuchellさんとの思い出を振り返る場面もありました。

これもあくまで乙武さん目線で語られるお話の中での憶測ですが、ryuchellさんだってきっと、乙武さんとは「友達」という関係性を築きたかったのではないでしょうか。

年齢差、と言う点で考えればryuchellさんの方が遥かに年下ですし、ryuchellさんが望んでいた関係性は、言葉通りの「友達」という対等な関係性とは少し違うものだったかも知れません。

ただ、少なくとも「仲良くなりたい」とは思っていたのではないでしょうか。

周りに気を遣うがあまりに自分を苦しめてしまうような方だったけれど、乙武さんの懐の深さを信じて、頼ってみたいな、本音をさらけ出せる関係性になりたいな、と願っていたのではないかなと、そんな風に感じました。


だから「友達なんかじゃなかった。」なんて仰ったら、ryuchellさんが悲しみますし、可哀想ですよ。

死後の世界とか、私にはよくわかりません。

亡くなられた方が天国で悲しむとか、私自身は思ったりも、思わなかったりもします。

ただ、乙武さん自身は記事の締め括りとしてryuchellさんに向けて「そこで見ていてほしい」というお気持ちを述べられていらっしゃいます。

ですので、乙武さん自身がそう思われるのであれば、これからもずっと「友達」でいてあげてほしいし「友達」として向き合う気持ちを忘れないであげて欲しいなと切に願います。

それが、生きている人間にできる唯一の事と思います。


多様性について考え始めると、悩みがつきません。

福祉もそうですが、人間についての問題には「これが正解」とハッキリ言えない事が多く、一人の人間が頭を抱えてどうこう考えてもしゃーないやろ、と思ってしまいます。

私は障害当事者でありながら、不真面目で無責任な人間と思われても仕方がありませんね。

そして、私には性的マイノリティがありません。

ですから、性的マイノリティについては私の立場からはあまり言及することはしない方が良いとも思います。

ただ、それを承知で敢えて一つだけ申し上げる事をどうかお許し下さい。

私個人としては、男性と女性という二つの概念がこの世から無くならない限り、LGBTQの方についての差別も無くならないと思います。

多様性の根本って、多分そういう事なんじゃないかなと思います。

当面、差別の無くなりそうもない世界で、私達が平和に生きていくためにはどうしたら良いかを考えると、先の乙武さんの記事で紹介されていたryuchellさんのお言葉が、かなり核心をついていらっしゃると思いました。

「多様性で大事なのは、強要しないことじゃないかな。人との関係でも、自分はこう思うからあなたもわかって! ではなくて、なるほどあなたはそういう意見なのねって、まずは認める姿勢を見せること。自分自身に対しても、これは嫌だ! 違う! ではなくて、嫌いなこともいつか好きになるかもしれないという目でものごとを見ること。相手にも自分にもどこまでやわらかくなれるかだと思うんです」

やわらかくなること

全くもって、その通りです。

私も時には、相手の意見を否定してしまいそうになる事があります。

感情がヒートアップすると、周りを見ることを忘れかけてしまい、自分の意見を通しがちになる時もあり、後々になってハッと気が付き、反省し、軌道修正を図ろうとすることもあります。

相手の意見を認めて、やわらかく受け止めることが出来る人間になりたいです。

どうしても相手の気持ちを受け止められない時は、一旦受け止めて、少しずつ距離を取れば良いのです。

自分が相手を受け入れられない・認めたくないからと言って、相手を傷付けるのはダメです。


ryuchellさん、よくバンキシャにご出演されているのを拝見していました。

いつも優しい口調で、しっかりしたコメントをされていらっしゃいましたね。

もうその御姿が観られなくなること、本当に寂しいです。

どうか、今の貴方のいるところが、やさしい世界でありますように。

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