見出し画像

綺麗なものは遠くにあるから綺麗なの

世の中には、知らない方がいい事が多い。
近くで見ない方が綺麗に見えるものも、きっとたくさんある。

思い出もそう。
遠いものだからこそ、輝いて見える。苦しくて悲しい思い出だって、今となっては輝いている。
元彼氏なんかもそうだ。
たくさん喧嘩もしたし、顔も見たくない程にまでなった事があるのに、どうしてふと思い出す時なんかは綺麗な思い出ばかりピックアップされるのだろう。そしてそれもやっぱりどれも輝いているのだ。

憧れ、恋心。
触れたくても触れられないもどかしい距離なんかよりも、もっともっと遠い存在。
触れてみたいなんて事を考えるのすら烏滸がましい。そんな遠い遠い存在。
遠い存在だからが理由なのかは分からないが、私にとって、本当にその人の存在は輝いていて、目を見て話すのも精一杯。
私にとってのこの憧れの気持ちは、近い存在になってしまったら薄れてしまうものなのだろうか。
私は、この恋心の行く末に辿り着く人の事をまだちゃんとよく知らない。
なのに、憧れの気持ちがどうしても勝ってしまって、諦めの気持ちが負けてしまう。もっとよく知りたいな、なんて思ってしまうけれど、遠くで眺めさせていただく位が丁度いいのかもな、とも思う。というか、そうするしか出来ない。でもきっと懸命な判断なのだ。
憧れは憧れのままにしておいた方が、綺麗だもの。いつだって。


桜並木を歩いて思う。
遠くから見ると満開でとっても綺麗に咲いているように見えるのに、近くで見たら意外と散っていたり、所々花が萎れていたりする。

近くで見ると決めたのなら、少しの花の萎れ具合や散り具合を覚悟しておかなければならない。
逆に、一つも花が散っていなかったり萎れていなかったりしたら、もはや造花を疑ってしまう。
ちゃんと、生きているんだ、花びら一つ一つ、ちゃんと息をしている。だからこそなのだ。
日の当たり方によって早く花開く枝もあれば、逆にその花達が散りゆく頃に花開く枝だってある。
良い所だけを見たいのなら、テレビで放送されるような満開の桜達を遠目で見るだけにしておいた方が良い。
逆にしっかりと見たい、ちゃんと知りたい、と決心したのなら直接触れれるぐらいの距離で、その完璧すぎない桜達を見に行ったらいい。
近づいて見に行ったとしても、「完璧に全てが綺麗だな」と思うのなら、それはあなたはきっとしっかり桜を見ていない証拠なんだと思う。というか、見るつもりもないのだろうと思う。

遠目で見ていて綺麗だなと、いつまでも思っていたい存在に近づく事は勇気がいることだと思う。でも決心したのなら、綺麗じゃない部分も受け入れる器を持って挑まないといけないんだと思う。

私のこのどうしようもできない恋心は、憧れとして、今は綺麗にとっておきたいと思います。
本当は綺麗じゃない部分も知りたいという気持ちがあるけれど、この想いはどうしても綺麗にとっておきたいのです。



また来年、桜が咲く頃に私がまだ同じ気持ちだったとしたら、その時はきっと綺麗じゃない部分を知りたくて堪らない気持ちになるのでしょう。
その時はその時です。
今はただ遠くから、見させていて下さい。
今はまだ綺麗なままで。

この記事が参加している募集

桜前線レポート

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?