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卒論のプロット、草案、走り書き (管理社会とSF的ニヒリズム) 

 資本主義は商人資本主義の時代から、金融資本主義、農業資本主義への拡大、さらには産業資本主義、経営者資本主義時代へと発展していった。さらに冷戦時代の資本主義陣営の勝利から資本主義はさらに加速することになる。

 現代の資本主義の中に生きる私たちは現在の資本主義がどのようなものであるのかということを理解すると、自身の今後の身の振り方に役立つと思う。

 現在の資本主義を端的に表すとしたら「独占」と「強権」が挙げられるだろう。例えばリーマンショックにおいて各政府は損失を出したウォール街に対して支援をし、金融業界はすぐに立ち直ったが、その代償は国民に課せられることになった。つまり富や既得権の独占が現在の資本主義の大きなテーマとなっている。このような事態に至った経緯を考える際に役立つものがポストモダンの思想であると私は考える。

 ではポストモダンをどのように解釈すればよいか。フーコーは近代社会を分析した結果としてそこで稼働する「規律社会」を発見した。それは「監視と処罰」によって「規律を守り、社会に役立つ人間」を作り出すものである。つまり近代社会では「ダミアンの身体刑[1]」のような可視化できる処罰、目に見える権力によって人々を統制していた。このような近代の「規律権力」が今崩壊しつつある。「規律社会」が崩壊した後の社会をドゥルーズは「管理社会」と名付けた。「管理社会」においては“目に見えない権力”が、可視化される「監視と処罰」に取って代わられたのである。“目に見えない権力“とは、「パノプティコン[2]」の現実化である。これによって、フーコーが提唱したパノプティコンを超える監視システムが完成した。フーコが提唱したパノプティコンでは監視者は一人で監視対象を監視するシステムであった。


(画像出典:左https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/d/dd/Panopticon.png;右;https://dol.ismcdn.jp/mwimgs/2/1/1080m/img_0d638fc7b34e183b1b470f5ef6cc7b4a39997.jpg

 「管理社会」においての監視システムとは、監視対象である大衆がそれぞれを互いに監視し、また監視対象が自ら個人情報を提示し、自らが監視者となるものである。例としては、スマートフォンやパソコンなどの電子機器とSNSが挙げられるだろう。Instagramにおいて私生活を画像や動画付きで曝け出したり、政治思想や個人的趣向をtwitterやFacebookなどで発信する人は今やマジョリティである。これらの行為は政府や企業に対してのみならず他人に対しても個人情報を提示していることに他ならない。また、私たちはそのようなSNSに提示された個人情報というコンテンツを監視している立場でもある。友人がどこに旅行したのか、どこで食事をしたのか、さらには今何をしているのか、そのような情報が個人のコメントやタイトルなどの“感想付き“で見ることができる。さらにこうした情報を企業は”おすすめの動画“や”おすすめの商品”などと広告として自社製品を売るためのマーケティングに利用している。無料で利用できるSNSほどそうした傾向が強いように思う。ポストモダン時代のメディアにおける参加の相互受動的なシミュレーション、すなわちMySpaceやFacebookにおけるネットワーク上のナルシシズムからは、これまではたいてい反復的で、寄生的で、そして同調主義的なコンテンツが生まれてきた。いっけん皮肉なことにも思われるが、メディア関係者がパターナリスティック[3]であることを拒否した結果が、驚くべき多様性に富んだボトムアップ[4]の文化ではなく、ますます幼稚化された文化の誕生に繋がった。対照的に、読者・視聴者を成人として扱い、複雑で知的要求の高い文化的生産物に付き合えるだろうと想定しているのはパターナリスティック文化のほうなのだ。(市場調査のための)フォーカスグループや資本主義のフィードバックシステムが、非常に人気の高い商品を生み出す場合でさえも失敗してしまうのは、人々が自分の欲しいものを知らないからだ。[5]私たちは強い意志で持ってこの状況を俯瞰しなければ。監視されていることにすら気づくことができない。互いに監視することは互いに依存することと言い換えることもできるだろう。

 このように「管理社会」においては、監視者の分化と、双方間の監視システム、それらを利用する企業や政府が享受する権力つまり「独占」と「強権」が理解されると思う。

 もし規律社会の形象が労働者と囚人であったとすれば、管理社会をあらわす形象は債務者=依存となるだろう。[6] 

 Withコロナ時代においてICTによる、監視システムが加速したことは言うまでもないだろう。大学におけるリモート授業やホワイトカラーの職業におけるリモートワーク化がそれを示していると思う。大学においては誰がいつシステムにログインしたのか、滞在時間はどれくらいか、アップロードされた資料をクリックしたのかなどの情報は教授一人しかわからないと言う点で、完全な「管理社会」における監視システムではないことは明記しておきたい。しかしながら、リアルタイムでの双方向の授業においては、参加者を見ることで誰が授業に出席しているのかがわかると言う点において生徒間の双方向の監視システムが働いていると思う。

 こうしてみると人間はハッキング可能な生き物であるということも過言ではない。ポーカーフェイスは通用しないのである。最近ではApple watchなどのデバイスなどで個人のバイオリズムを簡単に、即時に測ることが可能となった。Apple watchを一日中つけていることで、その日の消費カロリーから血中酸素濃度、心拍数、また不整脈の感知、睡眠の感知などが可能になっている。現在こうした情報は個人が自身の健康を管理するのに収まっているが、今後医療機関に役立てられることは必至であろう。さらには、他人や企業がそれを利用する可能性もあり得る。今この人は精神的に不安定であるから、安心を求めてこの商品を買うだろうと予測し即座に検索サイトやSNSの広告に利用するのだ。実際にある会社がFacebookのデータを不正に得てユーザーに心理テストを受けさせ性格特性を把握していたことで大騒ぎになっていた。[7]このようなことが加速し、それを国や政府が強要するのであれば『攻殻機動隊』[8] のような世界に現実が近似することは間違いない。『攻殻機動隊』の世界では、人々は電脳化さらには義体化するのが当たり前となっており、常にインターネットに接続されている。常に行動が監視されまた、他人をハッキングすることも可能で、幻影を見せたり、偽の記憶を植え付けることも可能となる。もちろん自分自身もハッキングの対象となる。また、『PSYCHO-PSS サイコパス』[9]の世界では人間のあらゆる心理状態や性格傾向の計測が可能であり、それを数値化できる。その中でも犯罪に対する性格傾向においては“犯罪係数”という測定値において一定基準を上回ると“潜在犯”として扱われ犯罪を犯していないにもかかわらず逮捕、隔離されてしまう。推定無罪の概念はそこにない。
 {資本は}敬虔な法税、騎士の情熱、町人の哀愁といった清らかな慄き(おののき)を、利己的打算という水のように冷たい水の中にしずめた。個人の尊厳を交換価値に貶め、お墨付きを得て既得権となっていた無数の自由を、ただ一つの、非情な商業の自由に置き換えた。一言でいえば、{中略}宗教的、政治的な幻影で覆われていた搾取を、あからさまな、恥知らずな、直接的な、ぶしつけな搾取に置き換えたのである。[10]

 資本主義におけるリアルをマルクスは上記のように観察している。つまり、資本主義というものは(表現は違えど)SF作品で描かれるようなディストピアの世界そのものなのかもしれない。マークフィッシャーは『資本主義リアリズム』において、資本主義リアリズムは「信じる」という私たちの危険から身を守る「盾」として振る舞おうとする。ポストモダン資本主義はテロリズムや全体主義の脅威から守ってくれるものだと私たちに言い聞かせていると、断言している。現状の資本主義以外の道はないと資本主義以外のシステムについての言及さえタブーとされ、資本主義以外のイデオロギーへの想像力を失っているよう思う。ソ連が社会主義を打ちだして、大掛かりな実験を行ったがそれは失敗に終わってしまった。資本主義でも社会主義でもないオルタナティブを提示しない限り、ポストモダニズム的な資本主義はさらに加速していくだろう。管理社会においての管理の技法はまず、人々の自由な行動を常にモニターすることである。それは厳重でリアルタイムなものである。次に問題のある対象を排除することである。例えば犯罪者や原理主義者、移民や難民、失業者、ホームレスなどが危険人物とみなされる。上記で述べた『PSYCHO-PASS サイコパス』での“犯罪係数”によって“潜在犯”を隔離、排除することも例として正しいだろう。最後に、それらをコーディングすることだ。これはパソコンやスマートフォンなどのOSを想像すると容易い。iOSのみ対応のアプリはAndroidでは使えないしその逆も然りだ。しかしながらOS内では文字を書いたりゲームをしたり動画を見たり自由に行動できる。あくまでもその範囲内においてということに着目してほしい。

 ツァラトゥストラは、人間たちに何が起こったのか、人間は大きくなったか、小さくなったか、知ろうとした。(中略)民衆は小さくなった。ますます小さくなるだろう。―――しかし、そうなったのは幸福と徳についての彼らの教えのせいなのだ。(中略)徳によって、彼らは狼を犬にし、人間そのものを人間の家畜にしたのである。[11]

 ここでは人間が家畜となって、「管理される人」となった。これに対してニーチェは「超人」になることを人間に求めている。この「超人論」を自由に解釈してみれば、管理社会において超人は「管理する人」であり、社会を管理する「超人」人間でありながらも、「人間」を管理する立場にあるのだ。そこにおいて人間という生物は、管理する人(超人)、管理される人(家畜)、排除される人(野生生物)と差異化されることになる。SFじみて現実感がないかもしれないが、加速する管理社会とそれを可能にする資本主義、進歩する科学技術、それらが常態化することを許している私たちによってディストピアに向かっているのではないか。

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参考文献

『ポストモダンの思想的根拠 9.11と管理社会』岡本裕一郎 ナカニシヤ出版 2005年7月22日

『資本主義リアリズム』マークフィッシャー 堀之内出版 2018年2月10日

『資本主義の歴史 起源・拡大・現在』ユルゲン・コッカ 人文書院 2018年12月10日



[1] ロベール=フランソワ・ダミアンは、ルイ15世の殺害を図って捕らえられ、1757年3月27日に八つ裂き刑に処せられた。

[2] 中央の高い監視塔から監獄のすべての部分が見えるように造られた円形の刑務所施設。

[3] 当人の意志に関わりなく、 当人の利益のために (for one's own good)、 当人に代わって意思決定をすること。

[4] 全体のうち下位に位置する側から上位に向かって手続きや伝達を進める方式のことである。

[5] 『資本主義リアリズム』著マークフィッシャー p187 1行目より引用

[6] 『資本主義リアリズム』著マークフィッシャー p69 10行目より引用

[7] 参考サイト:https://wired.jp/special/2019/ai-yuval-noah-harari-tristan-harris WIRED 人間はハックされる動物である

[8] 士郎正宗による漫画作品。ジャンルとしてはSF(パラレルワールド含む)に属する。

[9] Production I.G制作による日本のオリジナルテレビアニメ、またこれを原作としたメディアミックス作品。

[10] 『共産主義宣言』著マルクス=エンゲルス より引用。

[11] 『ツァラトゥストラ』著F・ニーチェ より引用。

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