見出し画像

もう二度と戻らない類のものを失った時

あれはいつ頃だったかな
一時期、一緒に仕事をすることが多かった人がいて、バカみたいにそっくりな部分と、一緒に仕事ができるのが謎すぎるほど正反対なところがある人だった。
いろんなアイディアを出し合い、当時、若手と言われていた私たちは夢を語り合い、その夢が叶ったらこうしよう、ああしようと飲んだくれてはよく話した

彼女は、出会った時、会社員で、その頃から近い将来会社をやめて独立したいと言っていた。仕事を通して出会って何年か後に、ある出来事があって「上司に会社をやめると言った」と電話してきた。その頃、私たちは彼女が会社をやめたら、一緒にやろうと計画していた企画があった
成功するかどうかはわからないけれど、私は「どうあれ、彼女とならおもしろいことになるに違いない」と思っていたので、いよいよ、それを形にするために動き出す時がきたかと思った。

でも、何ヶ月たっても彼女は会社をやめなかった。社内で色々、揉め事が勃発し彼女が関わっていたプロジェクトが暗礁にのりあげてしまった。
「このまま、このプロジェクトを放ってはおけない。このチームを立て直さないと」彼女は会社をやめることをやめた

それを聞いて「今、彼女にとってチームを立て直すことに意味があるんだな。では、待とう」私はそう思った。その時点ではまだ、彼女と一緒に新しい何かを生み出すことに希望を持っていた

それから1年、彼女はチームを立て直すための社内のいざこざの中で奮闘したにもかかわらず、結局プロジェクトは成し遂げられずチームは解散となってしまった
それを機に彼女は会社をやめた
そして自分の会社を作り、私はそこに呼ばれた
都心とは言え、古くて小さな雑居ビルの一室で、近所のドトールでテイクアウトしたコーヒーを2人で飲んだっけ

「色々手伝って欲しいんだけど」
彼女がこれからやりたいことについて、どのようなサポートが必要か、どの部分に私が関わってほしいのかという話を聞くうちに、「あれ?」という違和感が出てきた
彼女が必要としているのは、一緒に新しいものを生み出す相手ではなく、自分が作り上げたいものを作ってくれる相手。つまり下請け業者だった
まぁね、それはそれでよい。彼女の自己実現をサポートするということも、友人としては嬉しいことだ。でも、その一方で一緒に何かを作り出すというほうも形にしたいと思った。何よりも1年前に2人で考えた企画がある。
「去年、一緒にやろうって言ってたあの企画はどうする?」私が聞くと「企画?なんだっけ?」ときょとんとされて、「私は彼女の単なる下請け」感が決定的になった

あの時の失った感は半端なかった
彼女と作り上げてきたと思っていた関係性が全部幻だったのか?
そして、その幻のような関係性の上に成り立っていた2人で考えた企画を通して体験するかもしれなかった、未来の時間と、私が勝手にそうしたとは言え、彼女を待っていた過去の時間もすべて失ったような気になってしまった

それをきっかけに彼女との関係は変わった
険悪になったわけでもない。喧嘩したわけでもない。けれども、一度、壊れてしまったら、もう二度と戻らない類のものを私たちはともに失った
そのことがすごく悲しくて、しばらくの間、私は絶望した

彼女が悪いわけではない
彼女は私のために生きているわけではない
そして、私が悪いわけでもない
私は彼女のために生きているわけではない

そう、私は私の人生をまず生きることが大切で、
私の人生は私が作り上げていくしかないのだ

そう思った時、私もまた彼女と同じように、自分のしたいことのために彼女を「ただの下請け」として利用しようとしていることに気がついた
何かおもしろいことを一緒に作り上げようと言っておきながら、相手に対して「何かおもしろいものを作ってくれるよね」という気持ちがあったのだ
私を面白がらせてくれってねぇ
ダメでしょう

もちろん、下請けが悪いわけではないですよ
「こういうものを期待しているので、こういう形として成果をあげてもらいたい」というのはビジネスの上では大事なこと
ただ、彼女とはそういう関係ではなかったのだ

生きていれば誰かの助けが必要なことなど山ほどあって、そんな時はちゃんと助けてもらったほうがいいと思っている

ただ、助けてもらうことと、人に依存して成し遂げようとするのは、表面的にみたら同じように見えても根本的には全然違うことなのだ

あの頃の私たちを振り返る時、この根本の違いをお互いにわからなかったなぁと思う。当時はほんと〜に悲しく残念だったし、同じような経験は二度としたくはないけれども、自分の人生は自分が作り上げていくしかないのだということを学ぶことができたのはよかったなと思う








この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?