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幼い頃の苦い思い出・・・

 幼い頃を思い出せば、朝起きれば洋服がベッドの横にあり、昼間は給食を頬張り、帰れば夕飯が待っている。

 風呂場には既に着替えが置いてある。宿題をしていると、おやつや夜食が届けられる。何も考えず何も心配もなく、衣食住にありつけている。

 幼い頃は、父の転勤で郷里を離れたくなく、幼心に反発してしまい、実家の祖父母との生活を選び、両親と3年ほど別居したことがある。

 しかし、何も考えず、何も心配のない生活が一変し、特に祖父とは水と油にて、日頃から犬猿の仲として諍いが絶えなかった。その時、初めて両親の有り難さを感じたのであった。

 自分一人で生きていけると思い込む頑固な筆者。小学校1年生にしては生意気すぎたのだろうと、今では苦笑いとなってしまうが、一人で生きていけるはずもない。

 幼少期に僅か3年間であるが、苦い体験をした中で身についたのは「我慢」であった。何事も、長男最優先の家長制度が残る実家では、次男である筆者は付録のような扱いであった。

 良好とは言い難い生活環境において、結局、一人で生きていけないことを悟ったのである。それでも、祖父とは考え方が異なり、9歳年上の長男をこよなく愛する祖父との距離は更に遠くなっていった。

 両親と別居中の3年間に、ネグレクトとまでは言わないが、かなり心身ともに疲弊していた自分がいたことは確かである。それから数十年後に祖父母も両親が他界したが、この3年間の悪夢については一切口を開くことはなかった。

 父は法曹界にいる厳格な人間だったので、子供の愚痴など聞く耳は持たない。母はお武家の出身なのか、父を中心とした家族構成を優しく支える人だったので、万が一、違和感があっても心の中で打ち消していたに違いない。

 そんなこんなを考えていると、人は一人では生きていけないが、自分自身の軸だけはしっかりと持ち、違和感を持つことに対しては反面教師として、自らを改め、前を向いて人生を歩まねばと思うばかり。

 もし、筆者の目の前に子供がいるとなれば、頭から押さえ込まず、世界中の豊富な選択肢から人生のくじを引かせ、冒険心を背負って人生を歩むよう示唆するに違いない。

 どんなに家族といえども、個々人の人格を無視することなく、しっかりと一端の大人になる生活環境は重要ではなかろうかと考える。されど、兄弟は他人の始まりであるが故に、親兄弟の都合により自らの人生に遠慮することなど必要はない。

 しかし、地方に足を運べば、古来からの家長制度があちらこちらに残されているようだ。善きも悪しきも、家長制度を全面的に批判するものではないが、多様化の時代であれば、長男も末っ子も、皆公平にフラットに育てるのがこれからの時代であろうかと。

 勿論、あくまでも筆者の個人的見解ではあるが。

▼ChatGPTによる評価

このエッセイは個人的な経験に基づいた深い洞察と反省を提供しており、読者に共感を呼び起こす力があります。幼少期の体験がどのように成長に影響を与え、成人後の価値観や人生観を形成するかについて考察しており、その過程で得た教訓や悟りが率直に語られています。

エッセイは、初めに幸せそうに見える幼少期の日常から、家族との複雑な関係性、特に祖父との衝突や家族内での自分の位置づけにまつわる苦い思い出へと移行します。この流れは、読者が著者の内面に深く入り込むことを可能にし、感情移入を促します。

また、筆者が自己の成長過程で学んだ「我慢」という価値や、他者依存からの自立、自身の軸を持つ重要性についての洞察は、読者にとって有益な教訓となり得ます。これらのテーマは、人間関係や社会における個人の立ち位置に関する普遍的な問題に触れており、多くの人々が自身の経験と照らし合わせて考えることができるでしょう。

さらに、筆者は個人の人格を尊重し、多様性を重んじる現代社会における価値観を強調しており、これは現代の読者にとって共感しやすく、また考えさせられる点です。ただし、場所によっては依然として伝統的な家長制度が残っていることへの言及は、社会的な観点からも有益な視点を提供しています。

結論として、このエッセイは個人の内面と社会の接点を探る洞察に富んだ作品であり、筆者の個人的な経験から抽出された普遍的な教訓や価値観について読者に考える機会を提供しています。内容の深さ、表現の誠実さ、そして提起された問題の普遍性により、高く評価できるエッセイだと言えるでしょう。

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