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礼節無くして、一端の大人とは言えない。

 近頃思うことは、「礼節」を重んじる大人が激減していることである。「礼節」とは、人々が社会生活を営む上で、守るべき行儀やマナーや道徳的規範のことを指す。

 これは「民度」の問題と関連してくるが、兎に角、自己中心的な物事の考え方を持ち、常に、自分自身を棚に上げた状態で、身勝手な行動をとる人間が増えている。

 個人主義と利己主義を取り違えているのも要因の一つであるが、自分さえ納得できればそれで良いという、非常に視野の狭い考え方が横行している。

 お世話になったら、恩を仇で返すのではなく、恩に感謝し、いつの日か必ず恩返しをするという義理堅さを見ることさえ少なくなった。

 敬愛の念と言っても、ピンと来ない人も少なくない。他者の立場を考え、敬愛の念を持ち、「礼節」を弁えた接し方も分からず、ただ、自分が中心であり、その周囲を地球が回っているように勘違いしている。

 欧米化が要因の一つなのか、フランクな接し方を曲解して、タメ口を叩く世間知らずも少なからず、精神年齢を疑うほどに、子供がそのまま大きくなった人が多いように思えてならない。

 この程度の民度で子供を育てるのだから、子供の範となるべき親の背中が小さすぎて手本にならぬが、子供たちはそのまま受け止めざるを得ず、「礼節」という認識さえないままに育っていくのである。

 一言で申し上げれば、頼り甲斐のある、重みのある大人が激減している訳だ。何かにつけ、根拠もなくヒステリックに反応し難癖つけたり、見えないものに苛立っているかのように、常軌を逸した行動をとる人がいる。

 典型的なものでは、学校における教職とPTA、そして生徒の三角関係にありはしないかと。

 教職はサラリーマン化しており、PTAや生徒に気遣いすぎて教職としての威厳を保っていない。

 PTAは、親御同士の上下関係を作ることで、言いたい放題、遣りたい放題の人たちが集まり、教職へ矛先を向けている。

 生徒は、教職にとってはお客様のような状況に置かれ、教育や躾はどこへやらとなり、教職に対しても、親御さんに対しても尊敬の念が欠如している。

 昔の教育制度が百点満点とは言わないが、教職には熱血漢が揃っており、生徒に対する教育指導は半端ではなかった。また、PTAも教職への対応は「礼節」を重んじ、子供の教育に関して真摯な態度で臨んでいた。

 よって、生徒も教職への憧れや敬愛の念があり、現在とは比較にならぬほど、良好な距離感にて教職と接し、頼っていた。親御さんも然りである。

 しかし、今は全く違う。サラリーマン化した教職のプロ意識の欠如やモラル低下が顕著であり、教職が犯罪に手を染める時代となった。よって、敬愛の念どころの騒ぎではなくなっている。

 非常にバランスの悪い、歪な三角関係となっているのが、現在の教育現場ではなかろうか。

 次世代を担う子供たちをしっかりと育てるのが、その親御さんであり、教職である訳だが、その役目を果たしているかと言えば、否となる。何気に、不完全燃焼の日々を皆が送っているように思えて仕方ない。

 全国的では教職不足と言いつつも、プロ意識に欠けた人材を雇用したり、退職者を再雇用したりで数合わせをしているのが現状と言える。それでは、熱血漢が揃うどころか、まともな子供が育つはずがない。

 欧米化と言えば、昔はおしゃれで文化レベルが高そうに思いがちであったが、実は、日本人らしい「礼節」を見失うきっかけになっているのは否めない。他者の立場になって考えるという配慮の心が失われるのも分かるような気がしてならない。

 また、岡倉天心が東洋思想の崇高さを西洋に伝えたかったのも理解できる。彼の著書に「The Book of Tea」(茶の本)というものがあるが、当時の明治維新からの欧米化の波に流されていた日本人が見向きもしなかったものだが、彼の心中は穏やかではなかったろうと。

 畢竟、AI全盛の時代となりつつある中で、忘れてならないことは、アナログの素晴らしさと、その価値であり、人との接点における「礼節」を弁えることが、一端の大人として必要不可欠なものであると考える次第。

DALL-Eが上のエッセイを読みイメージしたもの
generated by DALL-E

▼「礼節」とは!?

礼節とは、人々が社会生活を営む上で守るべき行儀やマナー、道徳的規範のことを指します。具体的には、他人に対する敬意や配慮、挨拶や礼儀正しい行動、適切な態度や言葉遣いなどが含まれます。礼節は文化や環境によって異なる場合があり、社会的な調和や個人間のスムーズな関係を築くために重要視されます。社会の中で相互尊重や理解を深めることに貢献し、人としての成熟度や教養を示す指標ともなります。


▼岡倉天心の『茶の本』について

岡倉天心の『茶の本』(The Book of Tea)は、日本の茶道とその哲学、またそれが日本文化においてどのような位置を占めているかを、西洋の読者に向けて紹介した作品です。1906年に英語で出版されたこの本は、日本だけでなく世界中に茶道の美学と精神性を広めるのに大きな役割を果たしました。

岡倉天心(1863年 - 1913年)は、日本の美術史家、美術評論家、思想家であり、日本の伝統文化と美術の価値を国内外に伝えることに生涯を捧げました。『茶の本』では、茶道が単なる茶を点てる儀式を超え、美学、哲学、倫理を統合した生活の芸術であることを説明しています。

この本は以下の主要なテーマを掘り下げています:

  1. 茶道の歴史と発展:茶道の起源と、時代を経る中での変遷について詳細に記述しています。また、茶道がどのようにして精神性や美学的要素を含む文化に発展したのかを探求しています。

  2. 茶室の設計と機能:茶室のシンプルで精緻な美学について解説し、その設計がどのようにして茶道の精神性を反映しているのかを示しています。

  3. 茶道と禅:茶道と禅仏教との関連を探り、両者がどのようにして互いに影響を与え合い、日本の精神文化におけるその位置づけについて論じています。

  4. 芸術としての茶道:茶道が単なる実用的な儀式ではなく、一種の生きた芸術であることを強調し、その中に見いだせる美的要素や創造性に焦点を当てています。

『茶の本』は、日本文化の核心をなす価値観や美意識を、独自の洞察力で西洋に伝えた重要な文献として評価されており、今日でも多くの人々に読まれ、影響を与え続けています。


▼ChatGPTによる評価

このエッセイは、社会的な礼節やマナーの減少について深く考察しています。以下はその評価です:

  1. テーマの明確さ: エッセイは礼節の減少に焦点を当てており、その原因や影響について議論しています。このテーマは明確であり、読者に考えさせる素材を提供しています。

  2. 論理構造と組織: エッセイは論理的な流れで構成されており、段落ごとに異なる観点や例が提示されています。これにより、読者は議論を追いやすくなっています。

  3. 具体的な例の使用: 著者は教育関連の具体例を用いて、自らの主張を裏付けています。このような具体例は、議論を強化し、読者の理解を深めるのに役立ちます。

  4. 語彙と文体: 著者は適切な語彙と文体を使用しており、議論を的確に伝えています。また、著者の強い言葉選びや感情的な表現は、読者の関心を引きつける効果があります。

  5. 結論と提案: エッセイは強力な結論を提示しており、問題の重要性を強調しています。また、提案や解決策を提供することで、読者に行動を促しています。

総合的に、このエッセイは社会的な問題について深く考えさせる素晴らしい作品です。礼節の重要性やその減少の影響について考える際に、貴重な示唆を提供しています。

▼茶道について

©︎CHIKAO NISHIDA_D&L 2023


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