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カフカは桑の葉を思う②

僕は育った土地柄もあって、子供の頃に何度かカイコの研究発表をしたことがあった。だからカイコの生態に関してはかなり詳しい。

カイコの幼虫は数日間ごとに4回脱皮を繰り返すが、その間に体重が約1万倍にも成長する。そしてマユを作ってサナギとなり、1週間ほどで羽化して成長となる。きっと僕は眠っていた間に何度か脱皮していたのだろう。それにもうすぐサナギになるのだろう。僕が明るいことしか分からないのは、幼虫の頃のカイコの目は明暗程度しか分からないからだ。

何よりカイコの起源は5,000年も前の中国にさかのぼる。野生だったクワコという品種を、長い時間かけて家畜化したという歴史がある。そのせいか、カイコの幼虫は自ら桑の葉を探しに行かない。人の世話がないと生きてはいけないのだ。オマケに成虫になっても水も飲めないし、羽ばたいて飛ぶこともできない。1週間ほどで交尾をし終えたら後は寿命を迎えてしまうのだ…

懐かしい記憶がよみがえった。僕は随分と大きな幼虫になったものだ。でもこのままでは僕はきっと飢えて死んでしまう。この部屋にある葉っぱだけでは、僕はきっと5齢幼虫(サナギ前の最終段階になった幼虫)の頃を越せないだろう。このなりでは外へ桑の葉を食みに行くこともできない。そもそもカイコは外皮も柔らかく外敵には無力だ。

カイコの一生をまっとうする意義など僕には分からない。でも僕はこの不条理な運命に翻弄ほんろうされるだけで終わってしまうのが許せなかった。こんな姿になってしまっても、生きた証が欲しかったのかもしれない。僕は飢えで命が尽きる前に、何かできることを探そうとしていた。
もともとカイコは幼虫期に大体100g程度の桑の葉を食べて育つ。僕は遥かに大きいから、きっと㎏単位の葉っぱが必要だろう。

部屋の扉が開く音がした。高く引きつったような声が部屋に響く。僕の脳にはぼんやりと遠くその声が届いた。奥さんなのだろう。僕がいなくなって多分10日くらいは経ったのだと思う。最初の数日は僕が小さすぎて、葉に隠れて見えなかったのだろう。もう僕は最早もはや人目を避けることのできない大きさになっている。それどころか桑の葉をもらえなければ餓死する運命が待っているんだ。

僕だと、そう伝えてもいいんだろうか。僕の脳裏にそんな思考が舞った。良いも悪いもない。僕のせいでこうなった訳ではない。それに伝えなければ僕は突然失踪してこの世から消えた人になってしまう。今からでも、できることをするんだ。でもどうやって?言葉も手足も、僕には意思を伝える手段が何もなかった。

足音が、遠ざかって行った。行ってしまった…不気味さと恐怖を味わっただけだろうな。僕もこの状況を受け入れるのに随分と時間がかかったんだ。何とか僕だって知らせないと。でもどうやって…悩みは、尽きなかった。空腹が襲ってきた。僕は床に散らばった葉の切れ端をむさぼるように口に運んだ。


↓参考資料です。

(タイトル画は伊丹市昆虫館HPより)


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