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短編『何も気にならなくなる薬』その121

良い一日。これはなかなか難しい。
なにか決まったルーティンをこなすだけで良い一日とも言い切れない。
しかし、日々の生活の中で自分を審査する人はいない。
どんなに長く生きても最終的な総評は自分自身になる。
火葬場で涙ぐむ人達の総評は断片的なものだ。
「あの人は幸せな人生だった」
こんな無責任な言葉はない。
けれども、残された者たちはそうであったと願いたいのだ。

「今日はどうだったか」
今日も私は自分自身を採点する。
しかし大体にして
「まあまあ良かった」
審査員はいい加減だ。


「通知音」

「春休み」

「パーカッション」

通知音を手に取り画面を開く。
スマホの通知が三日後に春休みに入ることを伝えてくれる。
そんな事は言われなくてもわかっている。けれどもそうするように設定したのは私自身だ。
春休み。先輩方はもういない。少しさみしくなった部室の埋め合わせのために、部員達は新入生の歓迎会をどうするか、その打ち合わせに熱が入っている。
「ねぇ、部長も話し合いに参加してくださいよ」
「ん、うん」
「そりゃ先輩方がいなくなったのはさみしいけど、次に進まなきゃ」
「うん」
そういうことではない。誰もその理由を知らないのだろうが、一世一代の勝負に負けた私はどうにも物事に力が入らなかった。
「気持ちは嬉しいけど、私も新しい生活でどうなるかわからないからごめんね」
「わかりました。その、告白に付き合ってくれてありがとうございます」
「うん、部活頑張ってね」
「……おーい、部長」
「あ、ごめん」
「場所は部室でいいですよね」
「うん」
「次はケーキなんですけど、部長に任せていいですか」
「いや、ケーキは」
「話し合いに参加しなかったんだから、それくらいしてくださいよ」
「わ、わかったよ」
「じゃあ、予約してきて」
この辺でケーキ屋といえば決まっている。電話をかけようとすると。
「ちょっと、せっかく選ぶんだから、直接見てきてよ。電話で相談しながら決めたいからさ」
「わ、わかったよ」
押し出されるようにして部室を追い出される。
自転車で数分、お店の場所を忘れるわけがない。
おやつ時を過ぎたからか少しお店の中は落ち着いていて、カウンターには春休みの間だけケーキ屋でバイトをするという先輩の姿があった。
「あ、後輩くん」
「あ、どうも」
「どうしたの」
「あの、新入部員の歓迎会でケーキを」
「ちゃんと部長やってるじゃん」
「はい」
「それで、パーカッションはどう?うまくいきそう?」
「先輩に教えてもらったので、大丈夫だと思います」
「そうそう、その調子。それで、今日はどうするの」
「ちょっと電話かけますね」
向こうで話が盛り上がっているのかなかなか応答がない。バツが悪くちらりとカウンターの向こうにいる先輩を見やる。
先輩はあの時と同じ笑顔で私のことを見ていた。

美味しいご飯を食べます。