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初夏のレキジョークル⑦ 岐阜編 其の三

前回はこちら↓↓↓

自転車を停めた岐阜公園の噴水付近に戻ったのが、12時45分ぐらいだったでしょうか?

17時30分に名古屋なので、遅くとも16時50分ごろの電車には乗りたいところです。

ざっと4時間ほどの間にどれだけ回れるのでしょう??

公園に隣接した「岐阜市歴史博物館」は今回スルーしました。
ここに入るとおそらく所要時間はかかると予想し、
ここ一件に絞るか、数か所回るかのどちらかだと思うので、後者を選択しました。

そうなると、少しの時間も無駄にはできません。

お天気にも恵まれて、気温は真夏のように暑くなっています。

ペットボトルの水が空になったので、駐輪所横の自動販売機でまた1本買い、いよいよ出発です。

ナビ奉行のチコさんを先頭に、トーコ、千世という順番で一列となって発進しました。



崇福寺

まずは、いったん長良川を渡る位置にある崇福寺へと向かいます。

禅寺は庭でわかる

敷地に入ったとたん、禅寺だとわかる作庭が見られ、
「ここは、禅寺やな。」
とボソッとつぶやいてしまいました。

禅宗のお寺は、個性的なしつらえの庭が多く、それを見るだけでもちょっと心をくすぐられるのを感じます。
イヤ、決して遊んでいるわけではなく、それなりに意味はあるのでしょうが、「粋」というよりは「遊」が垣間見えるところが、私は好きです。

案の定、いただいたリーフレットには、
「臨済宗妙心寺派」とあります。

「臨済宗」とは禅宗のうちの一つであり、「妙心寺派」ということは京都市内にある「妙心寺」が大本山なのでしょう。

春のお花見にいった法雲寺も黄檗宗おうばくしゅうの禅寺で、独特の作庭が施されていました。

「心頭を滅却すれば火も自ずから凉し」
という名言で有名な快川紹喜かいせんしょうきが住職を努めたこともあるお寺だそうで、ひっそりと町はずれにありますが、由緒はあるのですねぇ。


信長公教訓の絵

本堂に入ると、またたく間に汗が吹き出します💦
この日の暑さはハンパない。

しばらくすると、タレントの小峠に似た僧侶があらわれ、不愛想に200円の拝観料を徴収され、チコさんが御朱印をお願いしてる間に、本堂内を回ります。

僧侶の顔はハッキリ憶えていないけど、あくまでもイメージが小峠

廻ると言っても見渡せるほどのスペースしかありません。

撮影OKなのがうれしい!

その入り口には「信長公教訓の絵」とその教戒文がありました。

絵はもはやなんなのか判別はつかない💦

要するに、
出世や成功は、正直な気持ちで邁進していれば、おのずとついてくるもの。
日々の気持ちが大事だという事ですね。

確かに信長は、真っすぐ過ぎて油断もできて身を滅ぼしましたが💦


「血天井」と「吉法師きっぽうし」のその後

天井を見上げると、生々しい血痕が残っていました。

鎧の帷子かたびら直垂ひたたれの血痕跡がリアル!

信長の死後、「清州会議」で秀吉が担ぎ上げて利用したのが信長の嫡孫・吉法師きっぽうしでした。

成人した彼は秀信と名乗り、関ケ原の戦いで西軍についたため、追い詰められた秀信は、岐阜城に籠城するも東軍の猛攻に落城します。

その時に戦死した将兵たちの血で染まった床板をこの天井に張ったものなのです。

秀信は高野山へと逃れますが、祖父・信長の「高野山攻め」が原因で迫害され、麓に逃れたものの5年後に死亡しました。

死因は病没なのか自害なのかわからないですが、「本能寺の変」がなければ、天下人3代目として順風満帆な生涯だっただろうと思うと、なんとも惨めでやりきれない。

「織田信長父子廟」
側室お鍋の方より送られた遺品を埋め位牌を安置させたもの。
(注)お墓ではありません。


実は、なせさんが紹介してくださったことで注目したお寺で、私はそれまでノーマークだった信長の嫡孫のその後のことも知りました。
キッカケをくださりありがとうございました!



河原町通り

岐阜駅方向へと進むのですが、せっかくなので「河原町通り」をゆくコースを取りました。

とにかく暑くて、どこかで「かき氷」でも食べたかったのですが、人出はあっても店が開いている気配はなく、なんだか閑散としています。

唯一開店していた「河原町屋」に入ってみると、混雑のため順番待ちしているほどで、諦めるしかありませんでした。

中の間取りや建築も見たかったのですが、残念💦

ちょっとした小物を売っていて、美濃和紙にニスを塗ったうちわが高額でビックリしました。

小さいサイズでも3,000円ぐらいしてた

実はこの通りにおしゃれなカフェが立ち並んでいると期待していたのですが、完全に裏切られ、ほとんどが戸を閉ざしていました。

土曜日なのに商売ヤル気あるのかな💦
明智光秀貢いで織田ちんお駄賃と書いた小さなポチ袋。
この絵といい、素晴らしいセンスだ!

長良橋のたもと付近なので、鵜飼事務所があったり、鵜匠の像があったり、町並みはとても風情あるものでしたが、賑わいがもうちょっと欲しい。

とにかくどこかで休憩したかった



岐阜善光寺と
伊奈波いなば神社

休憩したいのに休憩もできず、仕方なく次に行くしかない状況にウンザリしながらも自転車をかっ飛ばし、念願の伊奈波いなば神社に到着です。

まずは岐阜善光寺が、申し訳なさそうに端にあり、そこで御朱印をもらいます。

信玄没後に信長が勧請した。

善光寺は、善光寺(長野県)、甲斐善光寺(山梨県)、豊前善光寺(大分県)が、三大善光寺に挙げられ、全国に200ヵ寺ほどもあるそうです。

伊奈波神社の主祭神は五十瓊敷入彦命いにしきいりひこのみこと

主祭神である五十瓊敷入彦命は、第十一代垂仁天皇と日葉酢姫命の長男であり、第十二代景行天皇の兄にあたります。

伊奈波神社

創健は景行天皇14年と伝わりますから、ざっと今から1700年も前の「古墳時代」となっています、

ホントかな~?

この地は木曽三川(揖斐・長良・木曽)に囲まれ、恩恵も多い代わりに、度々の水害にも遭い、人々の生活は常に脅威にさらされてきました。

実り豊かな土地を願う鎮守のために創建されました。
古代から続く河川との戦いの歴史は根深く、自然の猛威は凄まじかったのが想像できますね。

緑豊かな参道をみたら、また気力が充満しましたが、本殿までの長い階段を見てゲンナリしたのを認めざるを得ません💦

不思議な事に、りっぱな楼門を見ると登る力は自然と湧いてくるものです。

「逆さ狛犬」が見もの

岐阜で屈指のパワースポットと言われる伊奈波神社のポイントの一つに、後ろ脚を蹴り上げたようなポーズの「逆さ狛犬」があります。

なでると勝負運が強くなり、
金運もアップするとか。

本殿のすぐ前にあるので、長い階段を登り切らないと叶わないご利益ですが、こんな形の狛犬は珍しいので、必見の価値はあると思います。

ひしゃげた顔もかわいいのですが、上に突き上げた丸いお尻も可愛らしすぎます。



常在寺

休憩もなく、次に向かったのはチコさんのリクエストによる斎藤家の菩提寺の常在寺です。

斎藤道三と父・長井新左衛門尉ながいしんざえもんのじょう(松波庄五郎まつなみしょうごろう)が親子二代で拠点としたのが始まりでした。

商人出身であるのが有名ですが、実はも元々武士だったのが事情があって浪人となり、商人から身を立てながら復活のチャンスを狙っていたのではないかとも言われています。

どちらにしても、この親子は謎が多すぎるので、いくらでも妄想できるのが楽しいですね。

中には斎藤道三・義龍父子の肖像画の複製や書簡の複製などが展示されていましたが、複製なのに「撮影禁止」のエリアにありました。

しかし!
私たちは良いものを見つけてしましたよ。

カッコいい~!!
もっくんも訪ねたのかな?

直筆のサインは大変な達筆で、もっくんは見た目だけではなく、字も素晴らしい!

一応、このコーナーは撮影禁止になっていなかったので撮らせていただきました。
というか、誰もいないので聞くこともできない…

だから御朱印ももらえず。。。
拝観料の200円だけは指定のところに置いてきました。

土曜日なのに商売ヤル気あるのかな?



岐阜大仏(正法寺)

もうすでにヘロヘロだったので、寄ろうかどうか躊躇った末、立ち寄ったのが正法寺しょうほうじです。

大仏とか言っても大したものではないだろうと高をくぐっていたら、驚きました!

一歩入ったとたん「わぁ~!!」と感嘆の言葉が出るほど素晴らしい大仏がおられたのです。

どうせ…とナメていた自分を戒め、襟を正して拝みました。

奈良の大仏よりデカいのではと思い、受付の方に聞いてみると、ほんの1mほど低いだけだそうで、建物が東大寺の大仏殿より小さいので、大きく見えるのだそうです。

ああ、大きさが写真ではたわらないなぁ。

釈迦如来の坐像で、日本三大仏のひとつとされる[4][5]江戸時代後期に塑像漆箔で造られた、日本最大級の乾漆仏とされる[6]

Wikipedia

「このお顔はまさしく飛鳥時代のものではないのですか?」
と受付の方に質問すると、やはり飛鳥の様式で作られたとの事でした。

この時代の仏像は、奈良の法隆寺でも感動したのですが、見ているこちらまで笑顔にさせるほど柔和な笑みを湛えています。

この微笑みこそ、「仏」のものではないかと思うのです。

さらに素晴らしいのが、この大仏様を取り囲むようにぐるりとが並び、それもまた圧巻の光景でした。


こがね神社

さて体力がそろそろ尽きようとしています。
また岐阜駅目指して自転車をかっ飛ばしましたが、ついでなので御朱印ゲットのために、その手前にあるこがね神社に寄りました。

なんだかキラキラした美しい神社の通り、主祭神が金大神こがねのおおかみで財をもたらす神なのですね。
創健は古墳時代で、先ほどの伊奈波神社の景行天皇の次に即位した成務天皇せいむてんのうの時砥の粉tなので、由緒は古いです。


チコさんが御朱印帳をもって向かっている間、私は隣にある広場のベンチに座り込んでいしまいました。
ぼ~っと待っていると、チコさんが、
「もう御朱印貧乏やわ💦」
と言うので、それにウケてちょっと元気を取り戻したのはわれながら大阪人だなと思う瞬間です。

確かに本日、たくさんの御朱印をゲットしたものなぁ。
なかなかバカにできない金額でしょうよ。

岐阜城


崇福寺


岐阜善光寺


伊奈波神社


正法寺


金神社


神社であっても達筆なのには感心しました。
神社の御朱印はひっくり返るほどお粗末なところがあるので、コケる準備をしていたのですが肩透かしを食らいました。


この時、16時40分頃だったかな?
明治村チームはすでに電車に乗っていると連絡がありました。
さて、自転車を返して、名古屋まで急げ!
この後、岐阜駅でまたネタがあるのです💦



>>>続きます


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