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大阪の難読地名~由来は「難波宮」にあり?

大阪の有名スポットの地名の由来を見てみると、それぞれにキッカケが、当て字だったり、訛りだったり、意外と単純なものもあります。

例えば、有名な繁華街スポットも次の通りなのです。

【梅田】
時は豊臣政権時代、低湿地帯で度々氾濫をしていたこの土地を秀吉の命で埋め立てたので、ただ単に埋田うめだと呼ばれたからという説が有力です。

やがて江戸時代になると、この名は印象が悪いのでこの地に存在した、梅で有名な「お初天神」や「綱敷天なしきてん神社」の「梅」の字を当てたのが始まりらしいです。

~菜の花や月は東に日は西に~
与謝蕪村

当時、灯明用の菜種油を採取するための菜の花畑が広がる美しい風景を詠んだとの事です。


【御堂筋】
誰もが知るの大阪を南北に通るメインストリートです。
北御堂(本願寺津村別院)ーお西さん
南御堂(真宗大谷派難波別院)ーお東さん
浄土真宗の2つの巨大寺院がこの道沿いにあるからなのです。

両堂の「津村」と「難波」はここの地名で、「難波」は前述の通りですが、「津村」はこの辺りが入り江だった頃の古代名の円江つぶらえから転化したようです。

京都駅前にも大きな本院が仲良く並んでいますが、ここ大阪にも別院としてたった600mの距離で並んでいるのを見ると宗派は分かれど、両派には切っても切れない深い縁があるのですね。


【道頓堀】
大阪商人・安井道頓どうとんが私財を投じて掘削したので彼の名がそのまま堀の名になりました。
1615年、大坂夏の陣で道頓は戦死しましたが、同年に完成し、初代大阪城主・松平忠明が、彼の功績を讃えてこの名をつけました。


さて、これらはほんの一例であり、しかも近世に生まれた地名でもあるため、比較的読みやすく、馴染みやすいものです。
しかし、大阪の地名には、
「どうしたらこう読める?」
と不思議な地名も多いのです。

それらの由来の元を私なりにまとめてみました。



大阪の難読地名
読める?読めない?

先日、「大楠めぐり」の記事で「杭全くまた」の読みの由来に触れました。

しかし、gooランキングによると、「杭全」は10位との事で、まだまだかわいいものなのです。

おなじみの難読地名

大阪人にとってはお馴染みの地名でも全国的には難読だと言われている地名は多いようです。

枚方(ひらかた)
道修町(どしょうまち)
・喜連瓜破(きれうりわり)
・放出(はなてん)
丼池(どぶいけ)
住道矢田(すんじやた)
河堀口(こぼれぐち)
十三(じゅうそう)
立売堀(いたちぼり)

列挙していたらキリがありません。
全てを解説していたらとんでもない文字数になりそうです。
(※本記事で紹介していない地名のみリンクさせています。)

放出は私世代の大阪人は、子供の頃、「放出はなてん中古車センター♪」のCMで耳にタコができるほど聞いていたので、自然と憶えてしまいました。

それも2016年にビッグモーターに買収されて、とっくに存在していません。


たいていはその土地の位置や地形から、あるいは歴史上の出来事からその地名となり、ましてや神社や寺にまつわるものもあります。


大阪人でも読めない地名

難易度ベスト3の地名なんて大阪の人間でも読めません。

3位 雁多尾畑(かりんどおばた)ー柏原市
字を見ただけで、雁を多く見られた土地だろうなと想像できますが、この地にある「光徳寺」にある「雁林堂かりんどう」に由来するとも言われています。

2位 毛人谷(えびたに)ー富田林市
元々古代には、東国の人々を指す蝦夷えぞ人たちの居住地域だったのではないかと言われています。 蝦夷は「えみし」とも読み、7世紀以前当時は「毛人」と表記されていました。
「毛人」を「えびす」と呼んでいたので、「毛人谷」は「えびすだに」から「えびたに」と転化したようです。

1位 廿山(つづやま)ー富田林市
一見すると「甘」と間違えて「あまやま」とか「かんざん」とか読んでしまいそうですが、よく見ると真ん中に一本ありません。
数字の「十」が二つ並べたのだそうで、その理由がハッキリしないのですが、ここには「廿山古墳」と「二本松古墳」との2基の古墳があるからかな?と想像します。
「津々山」とも表記されるのは、まずは読めないからだとか。


だいたい「富田林」も、もしかしたらちゃんと読めてない人もおられるかもしれません。
「とだばやし」が正解で「とたばやし」ではありません


奈良や京都より
古い都があった

710年、奈良の「平城京」、
794年、京都の「平安京」。

しかしそれ以前に日本初の首都として、大阪に難波京なにわきょうがありました。
皇都・難波としては650~794年の約150年間ですが、実際に天皇がおられたのは前期650~655年、後期744年2~11月で、合わせてもたった6年足らずでした。

しかし、飛鳥時代から奈良時代にかけて、大阪が首都として機能していた時期があったのです。

画像クリックでGooglemapへ

その時代は、この辺りは海であり「難波津」と呼ばれ、様々な外国からの船が渡来し、日本の玄関口として栄え、港や船、当時の地形、また渡来人などにちなんだ地名も誕生することになりました。


外来語から

百済くだら
先日、大楠を見に訪れた「杭全くまた」から約8キロほど北にはそのまんま「百済」という地名が今もあります。

本元の朝鮮半島西南部にあった国「百済」は660年に滅亡しますが、
最後の王・義慈ぎじ王の皇子の一人、善光ぜんこうが隠棲したことがキッカケとなり、その後も様々な渡来人が住み着いた地域なのです。


喜連瓜破きれうりわり
古代中国王朝の「くれ」からこの地へ渡来した人々が集団移住してきた地でだと言われています。
その「くれ」が「きれ」へと転訛し、「喜連」の字が当てられたとされています。
大化年間(645~649年)「瓜破」は、高名な修行僧・道明瓜を仏像に供えたところパカッと割れたという伝承から名付けられました。


立地条件から

難波なんば
「難波」などは「難波京」のそのままを取った地名ですが、「なんば」と読みます。
そこでややこしいのが、「なんば」と読めば一般的に「ミナミ」と言われる地域だけを指しますが、「なにわ」と読む場合は「大阪」全体の事になります。

実は「なにわ」と読む漢字表記は「浪速」「浪花」「浪華」と多岐に及び、いずれも大阪の事なのでややこしいです。

かつての大阪平野は「海」で、やがて土砂がたまり「潟」となり、その字の通り難しい波が押し寄せるところだったのでしょう。

「古事記」によると地名は「浪速」で「なみはや」と表記され、これが訛ったという説や、潟に「難儀な波」が寄せるので「難波」となった説があるそうです。



放出はなてん
素直に読むと(ほうしゅつ)なのですが、その字のごとく、その昔は河内湖から淀川へと放たれた出口に位置していたためこの字が当てられ、「放ち出はなちで」→「放ち出ん」となり「はなてん」と転化したらしい。

また、日本書紀によると、天智天皇の時代、道行という僧侶が、三種の神器の一つである草薙くさなぎの剣を盗み、逃げようとしたが、船が難破して、それを神の怒りの祟りだと察して、漂着した所で剣を放った捨てた地なのでこの名がついともされています。

さて、どちらが真実なのでしょうね。


歴史から

【天王寺】
難波古地図によると上町台地先端に「天王寺跡」と記載されています。
これは593年、聖徳太子建立の「四天王寺」の事で、「難波京」よりさらに古い日本最古の官営寺院の事です。

ではなぜ、「四天王寺」となったか?

もともとこの地は物部守屋もののべのもりやの古墳があり、その上に彼の鎮魂の意味で四天王像を祀ったお寺だったからなのです。
以前、記事にしましたが、聖徳太子は蘇我氏について物部氏を滅ぼしたので、その罪の意識なのでしょうか?

ですから「天王寺」と「四天王寺」は同じ寺を指し、そのまま地名と寺名とになり残りました。


土師はじノ里】
かつては皇族の埋葬の際には臣下の者が生き埋めにされる「殉死」という風習があったのを、粘土で作った埴輪を代わりに埋めるようになりました。
おそらくここはそういう埴輪などの土器を制作する人々が暮らしていた地域だったのでしょう。

ただし、実際に私が出会った人で「土師」という名字の方がおられたのですが、なぜか「はぜ」と読んでいました。
地名だと「はじ」ですが名字だと「はぜ」なのです。
土師はじに住んだ一族である土師はぜさんなのですが、おそらく単に発音を間違えたか、聞き間違えた事が由来なのかもしれません。


布忍ぬのせ

我が家が毎年お正月に初詣する「布忍神社」のあたりの地名です。
これもまた世間的には難読なのかもしれません。
神霊を白い布を敷いて迎えた故事から、「ぬのしき」と呼ばれたのが由来だと言われています。

静かで小さな神社でしたが、イチハラヒロコの恋みくじが人気で、GoogleのCMにも登場して以来、なかなかの混雑ぶりです。


難読だと言われる大阪の地名の由来を調べてみると、古代には首都だった事が大きく影響しているようです。

そして様々な要因で偶然のように生まれたものが多く、中には間違ったまま定着したものもあり、現在とは全く違う当時の様子を伺い知るとともに、そこから妄想が膨らみ、とても楽しいものでした。




◆皆さんにお願いです◆

お住まいの地域やその周辺に、難読、変読、珍読など、ちょっと変わった地名はありますか?

もし、ございましたら「コメント欄」or「投稿記事」でぜひ教えてください。

記事にして下さる場合は、以下を貼って下されば必ず読みにまいります(^^♪
・当記事のリンク
・ハッシュタグ「#難読な地名」

ご協力よろしくお願いします。




※トップ画像は「大阪歴史博物館」最上階の様子(2013.2撮影)


【参考文献・サイト】
大阪「地理・地名・地図」の謎 谷川彰英著
gooランキング
オウチーノニュース
語源・由来|難波・太秦 関西の地名の由来




「ということで みんなの難読地名」
~出題2 追加の大阪難読地名 回答~

㉞大饗ーおわい
㉟阿保ーあお
㊱交野市ーかたのし
㊲茱萸木ーくみのき
㊳我孫子ーあびこ
㊴柴島ーくにじま
㊵悲田院町ーひでんいんちょう
㊶彼方ーおちかた
㊷上牧ーかんまき
㊸点野ーしめの
㊹中垣内ーなかがいと
㊺道祖本ーさいのもと
㊻御幣島ーみてじま
㊼天下茶屋ーてんがちゃや
㊽此花区ーこのはなく
㊾博労町ーばくろうまち
㊿周防町ーすおうまち

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