見出し画像

家紋に見る道三の夢

レキジョークルでは、次回活動予定として1泊して「犬山城」~「岐阜城」という戦国の城をハシゴする計画が進行中です。

犬山城下を流れる木曽川で船上食事し、「鵜飼い」も鑑賞する予定なのです。

「犬山城」は国宝であり現存天守12城に数えられる貴重な城の一つですし、「岐阜城」は斎藤道三と織田信長とで天下取りの夢を繋いだ城です。

今からどちらもワクワクして、いろいろ調べている最中ですが、レビューを読んでいてもどこを優先して回ればよいものか、スケジュールを立てるのに思案している最中です。

2カ月以上も先の事なので、そのたっぷり時間でゆっくり企画してゆきたいと思います。

そこで皆さんに質問です。
もし、ご存じの方がおられましたら、これら二か所周辺のおススメ情報を教えていただきたい。

例えば、
岐阜城周辺の
長良川うかいミュージアム
伊奈波神社
犬山城周辺の
有楽苑
犬山からくりミュージアム

その他各城に行かれた方にはぜひ感想をお聞きしたいものです。

特に犬山城下町は見どころが多いようで、もしかしたら全て回りきれないかもしれず、ある程度の優先順位をつけておきたいと思っています。

昨年、名古屋紀行を予告した時に、いただいた情報で選んだ行先もあり、とても助かった経験から、今年も皆さんの情報を参考にしたいのです。

ぜひ、コメント欄にて情報提供をお願いします。



二頭立浪にとうたつなみ」は道三のオリジナル

前置きの紀行は後日レポートさせていただきますが、今回は斎藤道三の家紋に着目したお話です。

私は日頃から、日本の家紋には日本人の優れた美意識が現れていると感心しています。

その中にあってこの斎藤家の家紋「二頭立浪」は私が推したいナイスデザインの家紋の一つで、なんとこの図案は道三自らの考案だというから、ますます面白いです。


元々斎藤家は「撫子なでしこ紋」という全く違うものでした。


さらに余談ですが、道三のかつての主家であった長井家の家紋は中国地方の覇者・毛利家の家紋である「一文字三星」だったので、のし上がった時点でこれを引き継いだ可能性もありました。

Wikipedia


私の憶測ですが、道三はこの「右波の丸」を原型として進化させたのでしょうか?

もしそうだとしたら、かなり荒々しいイメージだったものを、抽象化してシンプルモダンに仕上げ、どこか愛嬌のあるデザインとなっていますね。

このあたりを見るとかなりのハイセンスさを感じます。



道三独自の戦哲学

潮の満ち引きを戦の駆け引きに例えたもので、物事には人の力ではどうにもならない流れがあるので、その流れをよく読んで適切な作戦を立てるのが肝要だ

「家紋と苗字」

家紋の意味には、「子孫繁栄」や「お家安泰」の願いが多い中、さすがカオスな時代に次々と主家を蹴落としてのし上がった彼らしいものだと捉えることができます。

どうすることも出来ない自然の摂理に逆らわず、「機」を見ろという、連戦錬磨の教訓を踏まえて、彼の哲学が詰まっていると知ると、ますます奥深さを感じて注視せずにはいらません。

岐阜城に関してのYouTubeなどを見ていると、この家紋の登り旗が翻っていて、それを見ただけでも道三の夢を感じ取れ、心が躍ってしまいます。



斎藤道三VS織田信長

そんな道三の野心である「夢」を事実上引き継いだのが織田信長です。

そのきっかけとなったのは1553年の「聖徳寺の会見」です。
道三の娘である濃姫(帰蝶)を正室に迎えた信長との初の対面が実現したのです。

実は先日の映画「レジェンド&バタフライ」ではこのシーンがすっぽりカットされていて、私は思わずガクッと椅子からコケそうになりました。

道三と信長の関係を語るには、このシーンは必須です!

しかも道三役は北大路欣也さんだったので、さぞかし名シーンになったはずです。
それを丸ごとカットするなんて、その後の感動へと繋がらないではないか。


二人の思惑

この会見を申し込んだ道三は、うつけで通っている信長の器量を見定めたうえで場合によっては亡き者にし、父・織田信秀の時代から争っていた「尾張」をかすめ取ろうと算段していました。

一方信長は、今までの小汚い身なりをすっかり改め、立派な武将として接することで、戦国武将・信長を覚醒させたのです。

道三は慌てたでしょうね?
今までどんなに汚い手を使ってでものし上がってきたので、今回もそう考えていたにもかかわらず肩透かしを食らったのですから。

そして、信長の器量を好評価しています。

山城が子供、たわけが門外に馬を繋ぐべきこと、案の内にて候

「信長公記」

「あぁ。私の息子たちはこの信長の家臣になるだろう」
という予言し、事実その通りになったわけです。


道三から引き継いだ「天下布武」

司馬遼太郎氏の「国盗り物語」にしろ、
山岡荘八氏の「織田信長」にしろ、
そして大河・「麒麟がくる」にしろ、
道三と信長はたった一度の会見で、お互いの意思が通じ合い、この時代には考えられないような信頼を築いたと二人の関係を好意的に捉えています。

特に「麒麟がくる」での「聖徳時の会見」は記憶に新しいところです。
道三を演じた本木雅弘さんの熱演も素晴らしいものでした。

(かなりイケメンすぎる道三でしたが💦)

「岐阜城」は道三の意志を引き継いだ信長が「天下布武」を掲げた城なのです。

義理の親子ではありますが、血は繋がらなくとも理解し合えた「親子」二代の夢の城でもあるのです。

この道三による考案の家紋を見ていると、実の息子に攻められて非業の最期を遂げる「痛恨の思い」と、叶わなかった夢を信長に託した「希望の光」との相反する両極端の思いも感じ取れてしまうのです。


◇◇◇


今年は「どうする家康」なのに、ブームを無視した紀行となるのですが、これはこれで見どころを私なりの解釈で見つけたいと思っています。







【参考文献】
「家紋と苗字」網本光悦著

※家紋画像h指定意外は全てフリーイラストACのものです。


この記事が参加している募集

日本史がすき

探究学習がすき

サポートいただけましたら、歴史探訪並びに本の執筆のための取材費に役立てたいと思います。 どうぞご協力よろしくお願いします。