レキジョークルin天橋立〈part2〉
前回はこちらです↓↓↓
ぐるりと阿蘇海沿いを南下して展望所のあるmap図③へ向かいました。
「阿蘇」の名の由来
そもそも、どうして「阿蘇海」というのでしょう?
「阿蘇」といえば九州・熊本の阿蘇を誰もが思い浮かびます。
その本家本元の名の由来は、日本書紀によると、
阿蘇都彦と阿蘇都媛という神様が住まれていたため、「阿蘇」となったと書かれています。
そしてその語源は、次の2つの説があるようです。
・カルデラの陥没崖を古代渡来人の言葉で「アズ」といいそれが転化した
・アイヌ語で火山を指すアソから
しかし、ここは京都の天橋立です。
それらと関係があるのでしょうか?
それとも別の理由か?
調べてみましたが、ピタリと当てはまる両地の関係は見つけられず、憶測するしかありません。
1~6世紀頃の朝鮮の国々、伽耶や新羅からの渡来人がここに住みつき、彼らの自称名が「阿蘇」だった可能性が高いようです。
古代から人の手で維持されてきた!?
しか~し!
2014年の京都府立大学の高原光教授による地質調査の結果によると、
3000年ですとー!!
クロマツの花粉だけは、少なくとも1000年 以上も前のスギが優勢な時代の層にも見られることから、クロマツはずっと絶えることなく存在していた事がわかりました。
そしてクロマツの松林は、下草を常に刈り取らないと広葉樹の森に変わってしまうのです。
この辺りに出土した縄文時代の遺跡から推測すると、その刈り取った下草を燃料にしていた形跡もあり、3000年以上も前から人が生活の場としていた可能性が高い事がわかりました。
とはいえ「阿蘇」といえども九州の阿蘇や北海道のアイヌ語とは関係ないとも言い切れず、3000年以上という歴史を考えると、私たちの考えが及ばない遥か昔に、これらの地は何かの繋がりがあったのかもしれません。
う~ん。
「天橋立」って、なかなか壮大すぎる歴史があります✨
【散策map③】
天橋立ビューランド
展望所まで上がるにはケーブルカーとリフトかの2択になりますが、20分ごとに発車するケーブルカーよりも随時乗れるリフトを迷わず選択しました。
リフトを選択した瞬間、怖がりのヒデさんの「ぇ~」というボソッとした声を私は聞き逃しませんでした(笑)
なんと!完全に遊園地になっていたとは!
みんなで声をそろえて、
「こんなんやなかった~!」と言い、その変わりように驚いたのは言うまでもありません。
昭和感漂う観光地というイメージだったので、この大変化に浦島太郎の気分になりました。
股のぞきと回廊で「飛龍観」
「飛龍観」とはその字のごとく龍が飛ぶ姿を観る体験をする事です。
股のぞきをすると天地が逆になり、空を海に例えて龍が天へと上るように見えます。
あまりの感激におばちゃんたちのテンションはさらに上がり、しばらくはしゃいでいました(笑)
さらに「飛龍観回廊」という龍のようにクネクネした展望回廊が設置されていて、余すことなく景観をタップリ楽しむことができます。
ただ、この回廊、左右だけでなく上下にもクネクネしているので、メニエールの気がある私は少し気分が悪くなり、調子に乗って何度も行ったり来たりはできませんでした。
「天橋立」とは地形的に言うと、砂が堆積してできた鳥のくちばしのような砂嘴と言われる地形を指します。
自然が産んだ奇跡の絶景なのですね。
天橋立と天椅立
「天橋立」の名の由来は「丹後国風土記逸文」によると、
国つくりの神・伊邪那岐命が天に通うために架けたハシゴが、お昼寝している間に落ちてしまったものだと書かれています。
伊邪那岐、伊邪那美といえば、国つくりの神で兵庫県の淡路島を最初にお造りになられたと言います。
そして淡路島には日本最古の神社、「伊弉諾神宮」があり、レキジョークルでも5年ほど前に訪れたのですが、当時は「大塚国際美術館」へ行ったついで寄ったので、後日、たくさんの見どころをスルーしてしまっていると気付きました💦
さらに調べると、徳島県に「天椅立神社」があり、同じ御祭神であるのを見ると、なんだか深いつながりありそうです。
同じ「あまのはしだて」でも「橋」と「椅」の字の違いも何か意味があるのでしょうか?
だいたい「椅」は「はし」ではなくイスの「い」なのですが…
また是非とも訪ねて、少しでも解明出来たらいいなと思っています。
神の世に 神のかよいし 跡なれや
雲居につづく 天橋立
ー村田春海ー
【散策map④】
白砂青松を散歩
天橋立の砂嘴は白砂青松と言われるもので、白砂と青々とした松でできた日本の美しい海岸風景を例えた言葉で表現されます。
他、静岡の「三保の松原」や佐賀の「虹の松原」、秋田の「風の松原」などもそう呼ばれているのです。
赤い「旋廻橋」は船が通るたびに90度旋回する橋で、陸地とを繋いでいます。
残念ながら旋回するシーンは見れませんでした。
与謝野夫妻について
与謝野鉄幹・晶子夫妻の真新しい歌碑がありました。
ここ天橋立は宮津市ですがすぐお隣に「与謝野町」があり、歌人・与謝野鉄幹の出身地でもあります。
ですから夫妻の名字のルーツはここにあるのですね。
過去に拙書・「奥の枝道 其の二 大阪編」でも触れさせていただきましたが、晶子の反戦の歌は胸を打ちます。
特に「君死にたまふことなかれ」は戦地へと向かった弟への思いが溢れていて、中学の時に初めて読んだときは鳥肌が立つ思いがしました。
お国のために
天皇陛下万歳
欲しがりません勝つまでは
すべてを戦争へ
などなど、公募された「国策標語」の飛び交う最中、弟を思う個人的な歌を詠むなど、相当の勇気が要ったはずです。
しかし彼女は読まずにいられなかった。
私はこの歌を知った時、子供ながらにも当時の人にも今と少しも変わらない感情があったのだと気付かされました。
自分の息子や夫を送り出す時に「万歳三唱」なんてできる神経が解らなかったからです。
与謝野晶子の反戦の歌に見る、人として当たり前の心情に、心から共感し、安心したのです。
靴を濡らす
宮津湾側に岩盤が3mほど薄くせり出た箇所があって、はしゃいで先端まで行ってみました。
海に浮かんだような写真が撮れるかもと狙ったのです。
笑顔で手を振っているのも束の間で、あっという間に靴は濡れ、みんなギャーギャー言いながら慌てて浜へと戻りました。
そりゃ、濡れるやろ💦
能天気に笑っている場合ではなかったのですが、この日の晴天と海風のおかげですぐに乾きました。
本当は最後まで歩きたいところですが、2時間以内にバスに戻らねばならず、全長3.2キロのところ1キロほどで引き返しました。
【散策map⑤】
智恩寺・文殊堂
最後に寄ったのは「智恩寺」です。
「ちおんいん」といえば京都の浄土宗「知恩院」が浮かびますが、こちらは臨済宗の禅寺です。
「智」の字が京都のものとは違うのは、ご本尊が智慧の仏様である「文殊菩薩」だからでしょうか。
奈良の安倍文殊院、山形の大聖寺と並び日本の三大文殊のひとつなのです。
伝承によると創健年は808年とありますから平安時代の寺院なのですが、中世にいたるまでの経緯ははっきりしません。
鎌倉時代までは真言宗寺院だったのが、南北朝時代あたりで改宗して臨済宗となったようです。
禅寺、臨済宗となれば、美しい庭を期待したのですが、敷地は狭く、ゆったりした庭は見られませんでした。
おみくじは扇子
ここのおみくじは、まんま扇子で、とっても可愛いものです。
そういえば山口・萩の「松陰神社」は傘だった事を思い出しました。
扇子は末広がりに運が開く、
傘はパッと運気が開く、
どちらもゲン担ぎとはいえ、とても良いアイデアですね。
ロコさんは大吉だったので持ち帰りましたよ。
売店のおじさんがキョーレツ
どうしてもこのおじさんの話をすべきでしょう。
後になってチコさんが言うには、おみくじを買う時に千円札しかなかったので、ガラス戸越しに申し訳なさそうにお札を掲げると、ガラッと戸を開けた瞬間にサッと700円のお釣りを手渡してきたというのです。
そういえば。。。
私も1200円のお線香を買うとき、2千円をガラス越しに掲げると、サッと戸を開けたと同時に800円を手渡されました。
その時もギョッとしたのですが、たまたまかと思っていたのが、チコさんとの話で、どうやら手のひらに100円玉10枚を常に握っていて、瞬時にお釣りを渡していたのだとわかりました。
大阪人みたいにせっかちなおっちゃんやなwww
ここで思い出したのは、先日「四天王寺」を訪れた時にランチした「煩悩のかたまり」のおにいちゃん。
ここのおじさん、一人で頑張っいるあのおにいちゃんの良い助っ人になると、納得したのです。
住む所は離れてはいても、思いがけずよく似た二人の共通点を見つけてしまい、また笑ったのでした。
◇◇◇
途中で立ち寄った「道の駅 京丹波 味夢の里」では、買い物に真剣になった主婦のおぼちゃんたちです。
珍しく生バジル(写真左)が売っていたので、私ももちろん買いました!
早速翌日、ジェノベーゼパスタにして食べたのですが、やっぱり生は香りが高く最高に美味しかったです。
その後、バスに乗り込んだ私たちは予定より早く帰路につきましたが、結局、大阪内の高速渋滞に引っかかり、ほぼ予定時刻の到着となりました。
もちろん帰りのバス内ではみんな爆睡zzz
そして地元で反省会という名の飲み会をしながら、来年の予定も話し合い、よく寝ただけにまた盛り上がったのは言うまでもありません。
最寄り駅に朝の7時に集合して、帰ってきたのが21時30分。
のべ14時間半でしたが、楽しすぎてあっという間でした。
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