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すてべての教育は「洗脳」である 堀江貴文(3276文字)


堀江貴文

堀江 貴文(ほりえ たかふみ、1972年昭和47年〉10月29日 - )は、日本実業家著作家(書籍・動画)・政治活動家投資家[2]タレント参院議員私設秘書YouTuberCROSS FM代表取締役会長[3]。血液型はA型。愛称はホリエモンだが、堀江本人があだ名やペンネームなどを名乗る際には、たかぽんを自称している[4]。SNS media&consulting株式会社ファウンダーインターステラテクノロジズ株式会社ファウンダー[5]ゼロ高等学院主宰[6]、株式会社7gogo取締役、日本ゴルフ改革会議委員[7]Jリーグアドバイザー、大阪府・大阪市の特別顧問国際博覧会(万博)担当)、ライブドア(4代目)エグゼクティブ・アドバイザー[8][9][10][11]北九州市アドバイザー[12]北九州下関フェニックスオーナー。ライブドア(2代目)代表取締役社長CEOエイシス代表取締役などを歴任した。ライブドア事件(後述)を起こしている。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これは学校否定本ではない

『すべての教育は「洗脳」である』

「教育が洗脳」というインパクトの強いタイトルと「ホリエモンの教育書」というダブルパンチは本を手に取る理由には十分だった。

多くの人は既にアクセルペダルを踏んでいる。ただ同時にブレーキペダルも踏んでしまっていた。両方のペダルを踏んでいるから、タイヤが空回りするばかりで、ちっとも前に進まない。それこそが動けないでいる人たちの現状だった。

アクセルの踏み方本ではなく、ブレーキの外し方として書いた。自分のどこにブレーキがかかっていて、そこにどんなふうに足を置いてしまっているか。それはどうやったら外せるのか。これが単なる学校否定ではないことがわかってもらえたはずだ。

と後書きにかかれているように、ホリエモンが単に学校否定しているわけではないことに読み進めていくうちにすぐに気づかされた。

「没頭する力」はだれしもがもつ普遍的な力。取り戻せる。

何のために何をするのかどんなふうにするのか全てを自分で決め、自ら責任を負いながら、突き進む力。
新しい時代を楽しく生きるために必須のこの能力を僕はシンプルに「没頭する力」と呼んでいる。僕にお金を学ばさせてくれて、何より、生きる楽しさを与えてくれたのは、学校ではなく没頭と言う体験だったと断言できる。

学びを楽しんでいる人は違う。没頭している。人にとっては、正解が見つからないことも自ら動かなければ取り組むべき課題が見つからないことも没頭する。対象がある限り全ては楽しいことだ。だから彼らは好んで暗中模索を試行錯誤を繰り返す。つまり没頭は人を消して立ち止まらせないのだ

没頭という技術を持っていれば、目の前の何からでも。幅広い教養の世界に飛び込んでいくことができる。一つのことの無我夢中で取り組めば、それは勝手についてくる。没頭する力は誰にでも備わった普遍的な力である。あなたもかって没頭の達人だったはずだ。そう、子供時代である。

脇目も振らずに没頭し、がむしゃらに取り組める体験の全てが学びだと僕は思っている。

お分かりにように、牛肉からロケット打ち上げまで実に多岐に渡り活動する「ホリエモンのの凄さ」の原動力がまさに「没頭する力」から来ていた。

「没頭する力」を組成するのは、自分ルールのボスになれるか

奇しくもその誰しもが普遍的に持ち合わせいた「没頭する力」伸ばすどころか、逆に奪ってしまう根源は学校や親にあると主張する。

幼児の行動を管理する延長である程度大きくなった子供にまで「これをしちゃいけません。」、「あれはしちゃいけません」と言う禁止のシャワーを浴びせかける。大半の子供はこの時点で「そうか、やりたいことを続けるのは悪いことなんだ」と思いこむようになってしまう。

常に人を前へ押し、新しい体験を掴ませようとするお勉強で身に付くのは敷かれたレールに乗る習慣だけだ。その習慣が身に付いてしまった人は1ヵ月後のテストや特別問題集が机の上になければ自ら何かを学ぶ事は無いだろう。なぜなら、彼らが目的としているのは与えられた課題をこなし、人に認められることだけだから。

その奪われた「没頭する力」はもう戻ってこない、というわけではない。ホリエモンは「没頭する力はいつだって蘇生できる」と言う。そのためのルールは一つ。自分ルールのボスになれるか。

親に教師に指定されてきた歴史があったって、いつだって挽回のチャンスはある。なぜなら、没頭する力は人間に標準的に備わっているものであって、枯渇したりはしないからだ。いつだって蘇生する時を待っているのである。

人は没頭が約束されたものに取り組んだときに没頭に至るわけではない。目の前のことにとことん取り組み、ふと我を忘れた瞬間がやってきたときに初めて自分が没頭していたことにを発見するのだ。つまり、没頭を体験したいのであれば、何でもいいからとことんやってみればいいのである。自分を没頭まで追い込むための最良の方法は自分で決めたルールで動くこと。自分でプランを立て、自分のやり方でそれを遂行する。それでこそ工夫の喜びや達成感が湧いてくる。与えられたルールではなく、自分でやると決めた事をするとき、人は楽しいと感じる。逆に、餌を待つ雛鳥のようにただ口を開けて待っているだけでは、どんな豪勢な遊びを提供されても本当にそれにのめり込む事はできない。没頭とは探すものではなく、頭を使って到達するものなのだ。入り口は極論、何でも良い。ポイントはただ1つ、自分がその取り組みの中でルールを決める。ボスになれるかどうかだ。

あなたの価値を最大化するのは、どれだけ我慢したかではなく、どれだけ自ら決断したかなのである。

貯金型思考か投資型思考か

ゼロリスクをとる日本人の貯金型思考は、「ゼロリスク」をとると同時に、「チャンス」も捨て、日本人の成長にブレーキをかけているとホリエモンは続ける。

金融機関はあなたから借りたお金を運用して増やし、利子をつけて返す。これが金利だ。この仕組みがうまくいっていた。高度成長期には、銀行の預金の金利が6%超えていた。この時代の預貯金は確かにある程度お得だったかもしれない。何も考えなくても預ければ預けるだけ増えると言う時代だったらでも今は違う。この超低金利時代に銀行や郵便局にお金を預けても何の得もない1千万円貯金で1年間預けて約100円もらえる程度の金利だ。そんなものは振り込みながらたった一回の手数料で消えてしまう。

日本人は、預金の利率が皆無に近くても、投資より余剰金を取る。つまりもっと大きな価値を得られるチャンスよりも「ゼロリスク」であることを選ぶ。この考え方が、お金以外のあらゆるものや機械において、日本人の心を支配している。結局、人々がやたらと学校に通い、たかったり強い指導者を欲しがったりするのは、それが「ゼロリスク」に近づく道だと思っているから。
失敗のリスクを下げる1番簡単な方法は変化を避けることだ。だが、この方法では必然的に良い変化もすてることになる。日本人は世界一の預貯金好き民族だ。個人金融資産における現預金の比率が世界で圧倒的に高いユーロ圏の34%アメリカの13%に対し、日本は52%もある。

自分の幸せに資本を投じる

自分が求めているものは何か?やりたいことは何か?今この瞬間、どんな生き方ができたら幸せなのかを真剣に考え抜くのである。それが、あなたが何に資本を投じるのかを決める原動力となる。

遊ぶ、働く、学ぶを同化させた三位一体型の人生を僕が送っている。遊ぶ、働く、学ぶを一緒にすると言うのは、それぞれの間に区切りを設けないということ。お互いがシームレスに移行していく。あるいは1つのアクションが遊びとも仕事とも勉強とも解釈できる

遊ぶ、働く、学ぶの三位一体はまさにホリエモンの生き方そのものであり、人生を楽しんでいる大人はもれなく、この3つをシームレスでつなげている。

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