見出し画像

ビーズクッションに沈みながらゆるゆると死んでいた日々のこと

朝、というかほとんど昼、だいたい10時くらいに目が覚める。我が家は賃貸の仮住まいで2LDKだから、コロナで夫が自宅勤務になった際に寝室が夫の仕事部屋を兼ねるようになった。そのためわたしが起きる前から会社員の彼はすでに勤務を開始していて、zoom先の夫の同僚に配慮しながら、のそのそとベッドを脱けるのが毎日のお決まりになった。

寝室から脱出すると、ウォーターサーバーで水を飲む。そしてアボカドを切り、納豆のパウチを開け、解凍した冷凍ごはんにそれらを乗っけて生卵をかけて、醤油とラー油と黒胡椒と刻み生姜と韓国海苔を乗せる。見逃したドラマをiPadで観ながらたらたらとそれを食べて、食器をシンクに下げてから、コーヒーメーカーのスイッチを入れる。ホットの飲み物が辛い季節になってきたけど、わたしはいつも前日の夜に水出しコーヒーを仕込むのを忘れるので背に腹は変えられない。

保温性のマグカップに出来上がったコーヒーと豆乳を注ぎ、カーテンを開ける。最近はどんよりと薄曇りで、鬱々とした気持ちで机に座り、MacBookを開けてメールを確認しながら煙草を吸う。そうしたら、スイッチは嫌でも入るのだ。いつもなら。

調子が狂い出したのは、やはり春からだ。受験を思い出す2月ごろから、おそらくゆるゆるとわたしは死んでいた。死んだままゴールデンウィークが過ぎ、母の日がやってきて、屍体のまま喘ぐように呼吸を続けていた。そのことに長いあいだ自覚がなくて、理由がないけれどやる気が起きないなんでだろうぐるぐるぐるぐるとデスクとビーズクッションを行き来するのを繰り返していた。

そんな数ヶ月だった。はっきりとした死の気配を嗅ぎ取ることができなかったのは、やはりそれ自体が薄くなっていたからだと思う。思えば今年は、うつが寛解して初めての春だった。定期的に訪れるそれは春になるとことさら濃く重く、わたしの首を締め上げる。便器に顔を突っ込んで胃液まで嘔吐して、布団をかぶって泣きながら震えて、そうやって毎年春をやり過ごしていた。今年ははっきりとした「死にたい」気持ちがなかったから、成長といえば成長なのだろう。

ただ、理由もわからず明確な希死念慮もなく、「いまいち書く気が起きない」という漠然としたやる気の喪失にまとわりつかれるのは、それはそれでしんどいものだ。やる気が起きなくても納期は来るし、仕事をしなければ金は入ってこない。やる気が起きねえななんでだろう、とうだうだしながらビーズクッションに沈んでいるうちに、あっという間に夜が来る。業務を終えた夫が「ご飯できたよ」とわたしを呼びにきて、そこでやっと慌て出して彼の作ってくれた食事を味わいもせずに食道に流し込み、19時を回ってから机に向かう。

丸一日何にもしていなかったのに、妙な気怠さと戦いながら、乗らない指をのろのろと動かす。しばらく勝手に指がキーボードを叩くあの感覚を、味わえずにいた。捻り出すメタファーはださくて痛くてハマってなくて、己の文章を心から嫌悪したり。書いては左矢印キーを連打して、ぐちゃぐちゃこねくり回して。

そして、また嫌になってビーズクッションに沈む。そのうち夜が明けて、午前4時ごろにシャワーを浴びる。まっしろのままのテキストエディタに向かう気はその頃になるともうすっかり失せていて、鉛のような罪悪感と焦燥感を胸に乗せたまま夫の熟睡するベッドにもそもそと潜り込む。そんな日々だった。

ビーズクッションに沈みながら、わたしはずっとスマホの画面の上部に垂れ下がる漫画をタップして課金し続けていた。あの、ご近所ママ友トラブルだとか、嫁姑問題だとか、W不倫だとかをセンセーショナルに扱っている、アレである。悲しいかな趣味は読むこと/書くことに極端に偏った人間なので、物語を摂取する気力も体力がないときは、こういうくだらないコンテンツに馬鹿みたいに金を注ぎ込んでしまう。妙に夢中になって読み進めて、本当に読みたかった作品を来月に先送りせねばならなくなるまで課金し続けて、それにも罪悪感を感じて、理解しているのにビーズクッションから抜けられない。

人をダメにするソファとはよくいうものだ。あれは寝返りが打てないから、そのおかげで見事に首を痛めた。肩こりが凄まじくて、頭を支えるのが酷くしんどくて、視界がぐらぐら揺れる。緊急事態宣言中でずっと整体に行くのを躊躇っていたけれど、もうこれは必要緊急だろうと思ってさっき60分みっちりほぐしてもらいに行ってきた。

嫌いな春が、ようやく過ぎ去ろうとしている。いまだに決着がつかない問題も、胸のざらつきも残っているけれど、とりあえずこうして指が動くようになったので、今は安堵している。文章が書けさえすれば、あとはもう、なんでもいいかなって気すらしてくるからふしぎだ。

読んでくださってありがとうございます。サポートは今後の発信のための勉強と、乳房縮小手術(胸オペ)費用の返済に使わせていただきます。