公開予定論文の概要について

ざっくりとした論文の概要(意訳してます)

表題「〇〇と△△における関連性としての××と、社会的な××の構造に関する考察」

序章
 □□は□□になれないと言うが、それは本当なのか。少子化を改善したいのなら、□□における役割について見直すべきでは。
 □□の両極端なこれらの発言に対して、こうした感情が湧いたのでガッツリ考える。

第1章
 △△の××・〇〇の××という分け方は、あたかも〇〇と△△が別々に機能しているかのようなきらいがある。しかし、□□が批判されていることから、そうした捉え方は適切とは言えない。
 一方、〇〇と△△が同じものかと言うと、それも違う。哲学や□□の立場から橋渡しをすれば、同一ではなく別物でもないという、一見矛盾していると思われる〇〇と△△の関係性に対して、そういうものだという割り切りができはしないか。

第2章
 自分が自分に対して思う××と、××で割り振られる社会で生きてく上での××。この2つの××を無理矢理同一化すると、所属する社会における××の役割で統一しないことには、社会の除け者になる恐れがある。
 日本の場合で考えると、日本の文化に基づき××へのイメージがつくられてきたので、いきなり欧米の考え方を突っ込んでも波風が生じる。
 でも〇〇と△△を分ける考え方をそもそも江戸時代までの日本でしてたかも怪しい。日本の歴史では新しめの感覚なので、世代によっても価値観が違う。従って日本について考えるなら日本の××を考慮せねばならず、考察対象の□□の事情を十分踏まえないといけない。

第3章
 今の時代、□□して□□を設けることが正義とか言ってられない。それに、□□がいないから社会へ参画する権利がないことにはならないし、□□がいなくても□□に参与できる社会=社会的□□のあり方とか考えたら、少しは世の中マシにはならないだろうか。
 ××マイノリティだから仲間外れとか馬鹿言ってないで、人口が減ってく日本のことを考えたら、価値観を一新した方がよいのではないか。□□は人口減少に抗う手段だけど、その□□における××の役割を見直した方がよいことは、この論文を読んでる人なら分かりますよね?

結論
 □□という指標を基にして論文書こうとしたけれど、なかなか分かりやすくまとめるの難しいです。なので、続きは院で研究します。


とまぁ、こんな雰囲気なのですが無闇に公開することで生ずる事態を危惧しています。(念のため、伏字にしてます)

・誰かの価値観を否定する意図はないのに結果として傷つけてしまう事態
・言いたいことと異なる・的を外した批判が広がることで、「バットとバスケットボールを使ってテニスコートでサッカーをする」みたいなちぐはぐな事態

有料記事にするか、話が通じる人にのみPDFを渡すか、なんか上手い方法がないか検討してます。できればたくさんの方のお役に立ちたいので。



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