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『高橋源一郎の飛ぶ教室ーはじまりのことば』(岩波新書)

 2020年春からNHKラジオ第一で始まった「高橋源一郎の飛ぶ教室」というラジオ番組の冒頭の三分間の話を集めた本。一つ一つが短くて、気軽に読めるのだが、内容は深く心に沁みて来る。年を取らないと書けない種類の文章なのかもしれない。またラジオで読むことを前提として書かれているので、語りかける口調が思われて、より一層、心の深い部分に触れてくる。どの話にも感情移入してしまうこと必至だ。

 以下は自分のための覚書である。

〈ぼくは作家だから、紙の上にことばをつづります。でも、そのことばも、ほんとうは「声」なんじゃないかと思います。いや、「声」であってほしい。ラジオから流れる「声」のように、親しい人がすぐ近くでしゃべっているときの「声」のように。いつの間にか聞きいってしまう。そんな「声」のようなことばを書きたいとずっと思っています。〉P.ⅱ
 ことばは元々文字ではなく、声なのだ、という捉え方。声には人の心を慰撫する力がある。紙に書かれた言葉を上回る力がある。

〈先週は荒川洋治さんの「文学は実学である」ということばを紹介させていただきました。(…)荒川さんは、「文学は世間では役立たない」という、文学の側の人間もつい持ってしまう弱い気持ちなど持っていませんでした。文学には「読む人の現実を一変させる激しい力がある」とおっしゃったのです。ぼくも作家のひとりとして、そう信じたいと思ったのでした。〉P.11
 銘にしたい「文学は実学である」という言葉。

〈彼女(アウシュビッツの生き残りの女性)は誓いを立てました。「生きて戻れるなら、それが最後のことばになるとしたら、耐えられないようなことばを二度といわない」と。彼女にとってことばとはそういうものになったのです。ことばを大切にしてください、という(指揮者ベンジャミン・)ザンダーのメッセージです。〉P.12
 そうした言葉を使わないというのは、人の自尊心の問題でもあるのだろう。

〈口から出る「息」に含まれ、他人に感染して傷つけるもの。いうまでもなく、それは「ことば」に他なりません。「ペスト」を、いや、あらゆる、人を傷つけるウイルスを、ぼくたちはみんな持っているのです。(…)人を傷つけることばを吐くことがいけないことは、誰でもわかる。けれども、なぜか、カミュは「誰一人、まったくこの世に誰一人、この病気を免れているものはない」というのです。/誰でも、自分は正しいと思って、ことばを発します。それでも、そのことばは、どこかで誰かを深く傷つける。どんなことばでも。それがいやなら、沈黙するしかありません。それを知りながら、カミュは、ことばを発すること、書くことをやめませんでした。だから、カミュのことばは、自信たっぷりではなく、とまどいながら、自分自身を疑いながら、怯えながら、書かれています。それだけが「ペスト」のように感染し、人を傷つけることばにならない可能性を持つことを知っていたのです。〉P.24
 2020年6月5日の放送分。コロナの猛威下で突然カミュの『ペスト』が読まれ出した。けれどペストは病気である以前に言葉であったと高橋は言う。その言葉をどう使うか。言葉は人を癒すものであると同時に傷つけるものでもある。ペストやコロナは収まるのかもしれないが、言葉を使用しなくなる日が来ることはない。

〈あるとき、偶然、両親は幼かったぼくの前に立ち、あの格好で、微笑んでいたのでしょう。いつも不穏で、幸福に感じられなかった両親の幸福そうな姿を見て、ぼくもまたひどく幸福だった。その瞬間を忘れられなくて、その風景は、やがて、ぼくの中で一枚の写真の記憶になったのかもしれません。そして、そのニセの記憶は、ぼくをずっと励ましつづけてくれたのでした。〉P.32
 これはよくあることではないだろうか。記憶にあったものが、ない。しかしそのニセの記憶は自分を励まし続けてくれる。自分が自分を励まし続けられるように記憶をすこし変えてしまっているのだ。

〈なにかを書きたい。書いて生きていきたい。そのために作家になりたい。そう思って、作品を書く。読者はひとりもいません。自分のことを知っている者は誰も。そんなことがときには、何年も、何十年もつづくのです。才能なんかないのではないか。無駄なことをしているのではないか。自分がやっていることには、なんの意味もないのではないか。考えると、おそろしさで震えそうになる。もうこんな無意味なことはやめようと思う。でも、次の日になると、誰も読まない小説を書きつづける。そんな孤独に悩んでいる無名の、作家以前の人たちが、何万も、何十万もいる。もちろん、どんな分野でも、そんな人はいるでしょう。あるいは、生きていることは、そういうことの連続なのかもしれません。〉P.40
 この文は私に向かって書かれているのかもしれない、と思いながら読んだ。

〈もしかしたら、「子どもの叡知」をもう一度獲得するには、老いるしかないのかもしれませんね。〉p.57
 それなら老いるのも怖くはないかもしれない。

〈作家になる、音楽家になる、絵描きになる。俳優になる、発明家になる。そんな、ふつうではない道を選んだ人たちの多くは、長い間準備したからというより、なにかに偶然ふれたから、という理由で、その道を歩み始めます。誰の小説を読んだから、とか。あるとき、ラジオから知らない曲が流れてきたから、とか。胸が焼け焦げそうな憧れがなければ、可能性に乏しい道を歩み出すことはできません。そして、そんな憧れは、「夢に感染する」ことからしか生まれない。でも、「夢に感染する」ことができるためには、「感染する」ほどの感受性も必要なのですが。〉P.61
 自分も夢に感染しているのか、と考えさせられた。

〈音楽が、記憶の中枢を刺激し、忘れていた過去をよみがえらせるというお話を、以前しました。彼女もまた、耳の中で流れ出した懐かしい曲に、記憶をよみがえらせたのかもしれません。いや、仮に記憶はよみがえらなくとも、彼女のからだはすべてを覚えていたのです。(…)そこに行けば、すべてを思い出すことができるもの、自分がなにものであるかを教えてくれるもの、そんなもの、こと、場所が、あればいいですね。〉P.80
 きっと人間は一度聞いた音楽や一度見た光景を全て覚えているのだと思う。それは記憶の表面にはなく、深く沈んでいるが、不意に表に現れることがある。音楽は一番それに対する刺激になるだろう。ああ、この曲は、と思い出した瞬間の、震えるような身体感覚。人間の記憶の不思議さ。

〈そこに生きている人たち、ことばも感覚もちがう彼らと話をすると、最初は緊張します。けれども、やがてなにかが通じてくる、わかってくるときに感じる喜びは、他では得がたいものがあります。「地球」を歩かなくなるとき、ぼくたちは、実は、いまいるこの場所や人に対しても敏感さを失ってしまうのかもしれません。〉P.93 
 2020年12月8日放送分。コロナ禍で海外旅行が減ったことに関する話。リモートで何でも代用できるわけではない、そんな当たり前のことが麻痺していた日々だったのかもしれない。また旅行に行きたくなってきた。

〈あれから半世紀ほどたってわかったのは、結局、自分がほとんど変わっていないということでした。確かに、知識は増えた、経験もたくさんした。けれども、「中身」はほとんど変わっていないような気がするのです。(…)/もしかしたら、ぼくたちは、ある時期、たとえば十三や十四で「自分」というものになり、そこから先は、ほとんど変わらないのかもしれない。そして、いつかおとなになる、と思いながら日々を過ごし、ある日、突然、老いた自分を見ておどろくことになるのかもしれません。〉P.109
 これが今の自分にぴったり当てはまり過ぎていて驚いた。私も60と1歳を越えたが、ドストエフスキーとパンク・ロック好きの、メンドウくさい高校生だった頃から、「中身」は何も変わっていない。
〈子どもっぽいおとながいるわけじゃない、おとなの形をしている、子どもがいただけなのです。どんな人間も、いくつになっても、その外見とは異なって、その内側に、何十年も、少年や少女が生きていいる。もしかしたら、自分の中に変わらず生きている少年や少女に気づくことが、おとなになる、ということかもしれませんね。〉P.109
 前段に続く部分。メンドくさい高校生になる前は、チェホフとビートルズに夢中の、もっとメンドくさい中学生だった私。60越えてあの頃の自分に戻りつつある気がする。
 
〈じつのところ、ぼくたち作家は、ことばを創り出しているわけではありません。徒手空拳。弱い弱い一本のアンテナになって、どこからかことばの電波がやって来るのを待ちつづけている。ずっと耳を澄ませて。そんな存在です。〉P.135
 創作をする者は全てそう。この後、著者は石牟礼道子を挙げている。

〈現代詩作家・荒川洋治さんの「会わないこと」という文章です。(
… )「(…)近しい人と、ある期間、それも長い間、「会わないでいる」ということは、どういうことなのだろう(…)。楽しい時間を過ごした、あるいは、いまも心がつながっていて、でも、そんなに行き来するほどの関係ではない人。そういう人を、遠くから感じていること。それは人間にとって、どういうことなのだろうと。/(…)会わない状態のなかで、耐えていることは、相手もこちらもが、いのちをもつ、つまり生きていることのしるしなのだ。生きているしるしが、「会う」ことよりも、「会わない」ことのほうにあるのだ。それは大きな世界だ。」(…)その人のことしか考えられなくなってやっと会えたとき、うれしいのに、会えなかったときの方がもっと好きだったような気がした。そんなことはありませんか。〉P.138
 この二人のようにここまで会わないことを深くは考えられないが。会わない、会えない、という状況は当たり前の毎日なのだが、会えると思っているからその時間に耐えられるのではないか。

〈ある時間の記憶を共有していた誰かが亡くなるとき、ぼくたちは、その時間そのものをなくしてしまうのかもしれませんね。〉P.196
 私も年齢的にこれからそういう思いを多くするのだろうし、最後には人にそう思わせるのだろう。

〈懐かしい誰か、懐かしいなにかが写った古い写真は、色あせ、はっきりとした映像でなくても、ときに、ぼくたちを強く動かします。それはその写真が、時間そのものを写しているように、見えるからなのかもしれません。(…)記憶というものは、8Kの鮮明な映像ではなく、白黒写真や古いモノクロ映画のようなものに思えるからです。〉P.199
 写真、その怖ろしいもの。写真は時間そのものでもある、という言葉にうなずく。写真を捨てる時、削除する時、過去の時間も捨てているのだ。

〈人は誰でも、ひとつだけ物語を持っています。自分自身が主人公の、人生というたったひとつの物語を。彼らが語っていたのは、そんな彼ら自身の、ひとつだけの物語でした。思えば、彼ら自身の他には、その物語を書いてくれる者も、語ってくれる者もいないのです。あのとき、どうしてぼくは聞いてあげようとしなかったのだろう。彼らの物語の中には、必須の登場人物として、いまのぼくの記憶からこぼれ落ちた、幼いぼくも登場していたというのに。〉P.224
 自分自身にとってだけ、かけがえなく大切で、他人から見たらほとんど無価値のもの。それが自分史。自分史から逃れられる人は誰もいない。

〈人生には、いくつも分岐点があって、どれが正しかったのかは、永遠にわからないのですから。〉P.232
 もしかしたら、こちらを選んでいたら、こうなったかも知れない人生。パラレルワールドがもしあれば。しかし現実には自分の選んだものだけが自分の人生を作ってきた。選ばなかった方の人生はどこにも存在しないのだ。

2022.11. 岩波新書 定価(本体900円+税)




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