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『塔』2024年2月号(2)

強い気持ちはいらない炎(も)える葉鶏頭ゆふぐれるまでここにゐさせて 田中律子 いらない、と言いながら、葉鶏頭の持つイメージを増幅させる「炎える」という形容詞。それだけで十分強い。強い葉鶏頭に対して縋るような思いがあるのだろう。そっと傍にいるのだ。

親よりも長く夫と暮らしきて時々この人を産んだ気がする 石井久美子 親と暮らしていた期間は案外短い。例えば大学で下宿してそのまま就職したら18年しか親と暮らしていない。それに比べて長い伴侶との生活。下句はもう何もかも知っているような気持ちだろう。

妻がもし妻でなければことごとに礼を言わねばなるまい僕は 坂下俊郎 いや、妻であっても礼を言えばいいんだよ。黙っていても伝わるなんてことは無いから。この歌そのものが、主体なりの礼なのかも知れないが、これはこれで。礼は別で直球で。

境界のわからなくなる夜だから誰かが落としていった手袋 はなきりんかげろう 暗くて今まで見えていた境界が分からなくなる夜。不穏な雰囲気だ。誰かが片方だけ落としていった手袋が、道に落ちているのだろう。ここからが何かの境界、あるいは結界だとでも言うように。

ウミネコのくちばしの赤 怒りって何か解決できるんですか 逢坂みずき 赤は怒りを表す色、ウミネコの鋭い眼光も思い浮かぶ。下句は疑問文ではなく、どうにも解決できない怒りを持て余しての表現だろう。「何か」が余剰でもあり、その後の言葉の省略でもある。

同級生で女子会すれば競うように身体の不調と介護のはなし 森尻理恵 そういうお年頃の女子が集ればそうなる。しかし同じお年頃の男子が混じると、不思議なことに身体の不調の話だけになり、介護の話が減るのだ。

葡萄から葡萄もがれてゆくときのさよならはお互いに言うんだ 鈴木晴香 房から粒を捥ぐのではなく、葡萄から葡萄を捥ぐ、という把握が新鮮。関係性は対等なのだ。だから、その時の別れの言葉もお互いに言う。どちらかが一方的に言うなんてことにはならない。

踊らずに歌に専念して欲しいアイドルたちはきっと口パク 西村清子 これは踊りを見るものと割り切った方がいいのではないでしょうか。柔らかい話の中で「専念」という堅い語が面白い。体言止めも効いてる。口パクと言えばテレビ創成期のアメリカのショー番組を思い出す。

片足から恐るおそると差し入れて三十代に吾は入りたり 永山凌平 もう若さが失われてしまうような不安さがよく出ている。入らない選択肢なんて無いが、「入りたり」と重々しく言うのが三十代ならでは。四、五十代は忙し過ぎて感慨も無いということになりがちです…。

2024.3.9.  3.11. Twitterより編集再掲

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