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河野裕子『紅』(14)

ゆらゆらと陽に透けながら昏れてゆくコスモス誰かわが胸よぎる 四句の句割れのコスモス、までは風景を描いて美しい。コスモスを見ている時、誰かの面影が胸をよぎる。誰か、というのも分からないぐらいの儚い面影が、コスモスの揺れに乗って通り過ぎていく一瞬を描く。

はかなさのこの明るさの真日向に繊き葉繊き茎澄みてコスモス 儚い秋の陽の光が、日向に明るく溜まっている。明るいのだが、はかない明るさ。コスモスの葉や茎はまさに「繊き」という形容が当てはまる。光も、コスモスの存在自体も、また作中主体の心の在り様も儚いのだ。

むき出しの手足のままに入りてゆく生毛ひんやりとコスモスの中 人間と植物の垣根が低い。コスモスの茂みの中に入ってゆく主体。人の手足もコスモスの茎もむき出しのままだ。どちらも細かい毛が生えている。お互いのひんやりとした感触を確かめ合っているのだ。

雨はなほ湖(うみ)を濡らして降りをれど大いなる弧を虹は渡せり 雨が湖を濡らすという美しい把握。水が水を濡らす。そして雨の終わりに表れる虹。虹が弧を渡す。雨や虹を主格に据えて、自然現象を大きく描き出す。読者も壮大な光景の中に引き込まれる。湖はおそらく琵琶湖。

みづうみのみづに濡れゐる虹の脚ゆたかなる弧は湖上を渡る 「みづうみ」「みず」、「弧」「湖上」、音の繰り返しがリズミカルかつ官能的でもある。特に上句は虹の脚に打ち寄せるかのような湖の波までが描き出されている。下句、虹はくっきりと濃い。

2023.10.6. Twitterより編集再掲

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