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小川さやか『チョンキンマンションのボスは知っている』─アングラ経済の人類学(春秋社)

 香港のチョンキンマンションに暮らすタンザニア人たちのボスと共に行動し、彼らの生き方・考え方を考察した一冊。目からウロコな考え方に、思わず自分の生き方を相対化してしまう本。ボスの個性も良い。すぐ白黒つけたがる性格の読者に、人間は皆グレーと教えてくれる。

〈彼らは常々「誰も信用しない」と断言している。それは、(…)誰しも置かれた状況に応じて良い方向にも悪い方向にも豹変する可能性があるという理解に基づいているように思われる。(…)「いま」の状況に限定した形でしか他者を評価しない。一見すると冷たいようにもみえるが、ある種の寛容とも表裏一体である。つまり「ペルソナ」とその裏側に「素顔」があって、その「素顔」が分からないから信用できないのではなく、責任を帰す一貫した不変の自己などないと認識しているようにみえるのだ。〉これはネットの浸透によって近年日本社会でも言われていることだが、タンザニア人たちは元々このような考え方だったのだ。どかの誰か分からなくても、本名を名乗らなくてもニックネームですぐ打ち解ける。ネット上のハンドルネームでの付き合いのようだ。

〈いつかは自らの人生を穏やかに受け入れる各々の終着駅に辿り着くに違いないという想像から、私はなかなか自由になれない。(…)ひとたび成功を掴んでもちょっとした不運や油断でジェットコースターのように転がり落ちる暮らしは、目的地に至る旅の過程だという思い込みに、すぐに私は囚われてしまう。だが、日々の営み自体に実現すべき楽しみが埋め込まれていれば、一生を旅したまま終えても、本当はかまわないのだ。〉これ、とても心に響いた。何度も味わいたい言葉だ。

 その他、他人の要求には「ついで」があれば答えて、無理はせず、また貸し借りの帳尻を合わそうとしない(自分は損をしている。とあまり思わないようにする)。「誰も信頼できないし、状況によっては誰でも信頼できる」という観点に立って、ひとたび裏切られても状況が変われば何度でも信じてみる。仲間への親切や喜びや遊びを仕事にする。稼いだり、真面目に働いたりするために、仲間に親切にし、喜びや遊びを探すのは価値の転倒であり、ちっとも楽しくない。「どこか」「いつか」のためではなく、「いまここ」にある人生を生きるために稼いでいるのである。自分の要求やアイデアに応答してくれた人に対して、「私を好きに違いない」と断言する。応じなかった他者を気に病むことに意味は無いし、自分が誰を好きであるかは、私自身の働きかけの成否にほとんど関係しない・・・など、実は私も薄々そう思っていたが、日本社会の中で押し殺してきたかも知れない考え方に触れることができた一冊だ。

春秋社 2019.7. 2000円+税

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