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『歌壇』2022年11月号

仏桑花、鳳凰木、梯梧、教室の窓より見ゆるもの火の色す 名嘉真恵美子 沖縄の風景。花の名前が並んでいるだけなのに迫力がある。画数の多い漢字だからだろう。まして火の色の花を咲かせる木々とあれば、なおさらだ。強い光と紅い花。それを見つめる主体の視線が浮かんでくる。

まろうどのあふるる街にこの島の来し方赤く掲ぐる梯梧 屋良健一郎 赤い色は火の色であるとともに血の色でもある。梯梧は赤い色を掲げて沖縄の来し方を示している。多くの観光客はそれに気づくのだろうか。歴史と現在が梯梧の赤い色を介して交錯する。

③特集「短歌の韻律がもたらすもの」 睦月都「文語の韻律」〈そもそも、文語短歌と口語短歌を隔てるものはなんだろう。先日刊行されたばかりの川本千栄『キマイラ文語』によれば、現代短歌における文語は「出自からして元々がミックス語、キマイラ的な言語」だとし、文語対口語という線引きを疑問視する。〉『キマイラ文語』を取り上げて、文語の韻律について論じていただきました。ありがとうございます。この本から色々な議論が生まれたらうれしいです。

④山崎聡子「時評」〈この歌集『終楽章』で笹公人は「念力家族」シリーズで戯画化して描写してきた家族像をいったん投げうち、脳腫瘍のため認知症となった実父の介護の日々を真正面から描いている。〉
〈この歌集には、虚像を経由することでしか書けなかった家族の姿が生々しく立ち現れているように思う。〉ありふれているようでいて難しいテーマ、家族。典型像のあった時代は、それだからこそ逆に見えなかったものがあったのではないか。家族というテーマの深さを再認識した時評だ。

⑤「対談:高野公彦・坂井修一」
 高野〈「貫之は遣唐使停止とともにやってきた国風振興の時代にあって「やまとうた」を復興させようとし、子規は西洋芸術の圧倒的な力の前に、あらためて日本の和歌を近代文学として立て直そうとした」と(角川『短歌』の連載に)坂井さんは書いています。子規は貫之をきびしく批判しているけれど、貫之と子規には共通の基盤があったということですよね。(…)戦略家という側面も持っていますよね。正岡子規は。上手に戦略的に効果のある戦いをした。〉子規の話、面白かった。
 この対談で一番びっくりしたのは、高野公彦という筆名は宮柊二が勝手に決めたもので、高野はどんな謂れがあるのか聞く勇気が無くて聞けないままに、今もこの筆名で書いているというエピソード。そんなにも名前にこだわりが無いんだ、と。

⑥武下奈々子「もの食う歌人たち」〈二人の交友が続いたのはわずか五年ほどであったが、白秋に放蕩の味を教えたのが啄木であることはよく知られている。〉あんまり知らなかった。この二人に交友があったことも。武下が挙げている啄木短歌は北原白秋と交友があったと言われるとなるほどだ。
 新しきサラドの皿の
 酢のかをり
 こころに沁みてかなしき夕(ゆふべ)石川啄木

白秋と同時代人だということがよく分かる歌だ。

2022.11.30.Twitterより編集再掲