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忘れられないお昼ごはん

 幼い頃、我が家は貧乏だった。今も決して裕福というわけではないが、昔ほどではない。

 当時の私は、貧しさゆえの不自由を感じたことはなかった。けれど、両親が「うちはビンボーだから」と口にするのを度々聞いて、子供心にどこか遠慮していたところはあったかもしれない。例えば、家族で外食する機会があると、私はなるべくメニューの中で一番安いものを選ぶようにしていた。好きなものを選んでいいんだよ、と言われても、なんとなく値段のことが気になった。それでも、食べたいものをすごく我慢していたという記憶はない。高校生ぐらいになってから母にこのことを話すと、気付いてたよ、と笑っていた。

 父は、お金のことになるとうるさい人だ。とはいっても、倹約家というわけでは全くない。むしろ、あればあるだけ使ってしまうタイプだと母は言っていた。
 私が幼稚園生で、姉が小学生くらいの頃、父は姉が遊んでいたDSのソフトを売ってしまった。それは、子犬を育てるゲームだった。もう遊ばないからいいよ、と姉が了承したのかどうかはわからないが、このエピソードだけを聞いたらむごい父親やん、と笑ってしまう。名前をつけられ、育て途中だったゲームの中の子犬はどうなったのだろうか。

 父は、家の中でのんびり過ごすということができないタイプだ。だから、休みの日は必ずと言ってよいほど家族で外出していた。ショッピングモールでウィンドウショッピングしたり、公園の駐車場に車を停め、買ってきたほか弁を車内で食べてから公園で遊んだり。遠出をしたときは、車中泊をしたこともある。(夏、海辺に車を停めて窓を少し開けたまま寝たので、蚊の鳴き声にうなされながら眠り、起きたときには家族全員刺されまくってかゆい思いをしたというおバカな思い出も。)今思い返すと、なるべくお金のかからない過ごし方をしていたことがわかる。

 そんな我が家には、もうずっと忘れられない、これから先もきっと忘れないであろうお昼ごはんの思い出がある。それは、食パンイチゴジャムだ。
 何も特別なものではない。どこのスーパーにも売られている食パンと、紙の容器に入った安めのイチゴジャム。それをなぜか、私たち家族は某ショッピングモール(イ○ン)の屋上に停めた車内の中で食べた。美味しすぎて忘れられないのではない。家族4人の昼食が食パンとイチゴジャムのみで、しかもそれを屋上で食すという謎すぎる状況が面白すぎて忘れられないのだ。お金がなさ過ぎて食パンとイチゴジャムだけになったのは、まだわかる。でも何故、ショッピングモールの屋上で食べたのだろう。
 当時の記憶は曖昧だが、1つだけ思い出せるのは、周りに車がほとんど停まっていないような駐車スペースに車を停めていたこと。きっと、父がなるべく人目につかないように配慮したのだろう。(家に帰って食べなさいよ。)

 このときのことは、貧乏時代の苦い思い出なんかではなく、我が家で定番の笑い話になっている。思い返せば他にも、スーパーで値引きされていた自分で麺を茹でるタイプのつけ麺を、全くの具なしで食べるのが土日の定番になっていた記憶なんかもある。そのなかでも、「食パンとイチゴジャム at イ○ンの屋上」という貧乏ランチは、私の人生でこれからも色濃く残る思い出の1つだ。

 冒頭でも述べたが、貧乏ゆえの不自由を私は感じたことがない。というか、幼い頃の我が家がそこまで貧しかったとは、大人になるまで気が付かなかった。それは、貧しいからという理由で何かを制限された経験がほとんどないからだ。幼い私が不自由なく過ごすことができたのは、父と母のおかげだと思う。

 今も、お金に困らず生活できているとは言えないが、不自由さは感じていない。

 父は今日も、スーパーで安く売られている発泡酒をチビチビ飲みながら、テレビを見て笑っている。母は、値下げされていたコーヒーゼリーを完食して満足そうだ。私の明日の朝ご飯は、食パンとイチゴジャム。もちろん、居間で、好きなだけジャムを塗って食べる予定だ。


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