176.無償の愛とは

今日は久しぶりに父と2人でご飯に行きました。
その時に感じたことをつらつらと書いていきます。
ちょっと私の気休め、頭の整理みたいな部分も多くあるので
いつもとスタンスが違うかもしれないです。

ネガティブ要素もあるので嫌だなって方はここで回れ右でお願いします!

私は「家族」に対してコンプレックスのようなものがあります。
何となく「仮面家族」のような気がしています。
「都合のいい長女」を演じることも多くあります。

どういう形が「家族」の正解なのか分からないけれど長い時間一緒にいるとストレスが溜まってしまいます。
血は繋がっていても他人だからかもしれません。

今日は父と「中学生」の頃の話になりました。
今の私を見ていると中学生の頃心療内科に通院していた私を思い出す
と言われました。正直心外でした。

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中学生の頃は「部活」でも「クラス」でも無視され続けていました。学校も世界も生きることも全てが嫌でした。そんな中で母親が学校であったことをしっかり話せばもう学校に行かなくていいと言ってくれました。

私は救いの手が差し伸べられたなと思いました。
だから話しました。そして安心して夜寝ました。
すると翌日、「学校に行かなくていいのは昨日だけで事情はわかったから今日からは学校に行きなさい」と言われました。

あの日の朝はとても絶望しました。
ああ、私の味方は世界に誰もいないんだと思いました。
話を聞いてくれていた祖母や叔母もだんだんと「あなたにも原因がある」といってくるようになりました。誰も私をわかってくれないと思いました。

そんな日々を過ごしていると毎日、頭痛が鳴り止まなくなり
内科を受診しました。そこの先生に紹介され心療内科への通院が始まりました。
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父はこの頃心療内科の先生に言われたことが納得がいかないと
今日話していました。
先生に頭痛の原因を聞いた時、先生はこういったそうです。
「娘さんは将来、子どもに関わる仕事をしたいけれどみんなが反対して
みんなが私のことをわかってくれない」と悩んでいると。

私は先生にそんなことを言った記憶はありませんでした。
友達も学校も親も親戚もみんな信じられないし、私の味方は世界に誰もいないから生きている意味がわからないと話していました。

先生の配慮により父親には上記のように伝えていてくれたのでは?と
今日20年ぶりくらいに開設をしました。
それでも私の父はしっくりきていませんでした。

自分たちの「心配」や「気遣い」が娘の負担になっているなんて1ミリも思ったことが、なかったんだと思います。

そして最後に放った言葉は
「成人まで育児をして、俺らは責任を全うしたって逃げたかった」
のかもしれないねと言っていました。

私はそれに対してどうこう言えないよと思いました。

ああ、でも何年経っても「味方」ではないんだなと思ったのです。
「心配」や「気使い」を相手の思う通りに受け取らない限り、私は悪い子のようです。でもそれって相手目線に立ったらどうなのかっていうこと
私は考えられる大人になりたいです。

13.14歳の私、本当によく生きていたなって思います。
自分の人生です。
自分の選択で生きていきます。

無償の愛は存在しないのかもしれないです。
みんな自分が生きるのに精一杯です。
でも私は好きな人には無償の愛を注ぎたいし、伝えたいです。

そのためにはもっともっとパワーアップしたいです。

「押し付け」が相手の首を絞めること、苦しめること
そんな経験をたくさんこの家ではしてきました。
そうならないように気をつけたいと思いつつ、他の経験が少なすぎて
同じ過ちを犯しているのかもしれないです。

もっと頑張りたいのにな……私の味方がいなくても
私が私の味方でいて頑張るしかないな。

私は私が存在していい理由をまだ他人の中に探してしまっているようです。

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