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day100

ふと見かけたnoteをきっかけに参加させていただいたこの企画、無事に本日が完走です。わたしは始めたのが遅かったので、完走したのもおそらくほぼ最後なのではないかしら。皆さんの背中を追いかけているつもりで、日々書いておりました。

とはいっても、最近は“書く”と“読む”のバランスがちっともとれていないのがとても残念です。本当はもっと読みたいのに、自分の記事を書くことだけで精一杯になってしまっています。ほんとに時間の使い方がうまくないわたし。それでも、わたしの記事をちょくちょく読んでくださる方々には感謝しかありません。この頃はとくに、なにかためになるような内容というよりは自分のその時の感情とか感覚をとどめておいているだけの、私的な記事になっているにもかかわらず、スキを押してくださってる方にはいつも力を頂いています。なにかちょっとでもステキな表現ができていればいいのですが、なかなかね、それができないことも多くて。かといって、完全脱力系のくだらなーい意味のなーい内容に振り切る勇気?みたいなのもなくて、真面目に書こうとしちゃったりね。読み返すと、中学生くらいの自分と文章構成力がそんなに変わってない気がして愕然とするのですが、まぁそんなのもこんなのも含めてがnoteのチョことばラの表現なのだなぁと思います。

昨日が100日目だったら、東京を離れていたのでそれもあわせて「完走記念!@熊本県上天草!!」とかテンション高めの投稿になっていたような気もするのですが、100日目の今日は、例のごとく自室から一歩も出ずにひとり静かにお仕事したり、あれやこれやしておりました。夜から雨が降り出して、ときおり聞こえる車の音や雨の音にしみじみしながら完走をかみしめている感じです。

というのも、こちらの企画ではひと区切りとなりますが、365日投稿も自分の中で目標にしているので、やり遂げた達成感よりも、あくまでも通過点という気持ちのほうが強いせいかもしれません。今後もnoteは毎日投稿を続けてゆこうと思っているのだけれど、書くこと自体は習慣化している一方で、やはり続けてゆくことは大変なことだなとも痛感しています。書くのが嫌とか苦痛とかでなくてもね、やっぱり眠くてたまらない日も、仕事でめちゃめちゃ疲れててどう考えてもペラッペラな内容のこともあります。さらに、例えば事故とか病気とかでそれどころじゃなくなる日があるかもしれない(そんなことは絶対あってほしくないけれど)、そう考えるとこの100日間、そして今年に入ってからずっと、続けていられているのはとりあえず健康であるということなのだとありがたく思えるようにもなりました。(あ、メンタル的には何度もヤヴァイ感じになってますけれども、、、)下書きをストックせずに、ほぼリアルタイムで書いて投稿をしてきましたが、もしかしたら今後はそのやり方に固執せずに毎日続けるほうがいいのかなとも思うけれど、結局下書きをリライトする時点でそれなりにいろいろ考えてしまって時間がかかってしまうのだろうなわたしの場合。オシゴトだったら極めて非効率的なのだけれど、わたしにとってnoteというプラットフォームは、お金を稼ぐ場ではないし(特にフォロワーが多いとかコアなファンがいる訳でもないので有料記事を書く思い切りもない)結局は自分のために、自分の気持ちが赴くままに、でも続けることだけは決めている場所なのです。変かもしれないけれど。

という訳で
あくまでも通過点と申しましたが、こうした企画によってやはり“同志”みたいな仲間の存在があることもとても頼もしかったです。
あらためて、ヤヤナギさん、ほかの参加者の皆さん、ありがとうございました。

100日たって自分がなにか変われたかといったら、なにも変わってない気がするけれど、ちゃんと季節は移り変わり、世の中ではやっぱりいろんなことが起きていて、街並みや風景も変わっていっていることに気づかされます。なかなか変われないわたしですが、足踏みしているだけにならないように、やっぱりnoteを続けることって意味があるのかなという気がしています。

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