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認められようと頑張るのをやめる

ここ最近
おもうことなんだけど

今までの長い人生 
私はどれだけ
無駄な努力をして
好かれよう
認められようと
頑張ってきたのか
しみじみわかってしまった。

いま持っている持ち物とか
劣等感を補うために
馬鹿みたいな値段だして
買ってしまったものもあるし

ある集団や
自分が尊敬する!なんて
はまる人がでてくると

めちゃくちゃつくして
ぼろぼろになるまでつくして
認められようと
頑張ってしまっていた

そんな場所や人に
使った時間やお金や労力は
なんの身にも残らず

いたたまれないほど
自分が傷ついて
離れることになる

まさに、この人の動画でみた
橋を焼く みたいな方法で。


認めてもらえないのは
私がまだ
〇〇ができていないからだ、とか
私が勉強不足で
〇〇さんの考え方を
理解できていないからだ、とか

とかく自分を追い込んでは
認められない
愛されない
大切にされないことに
非常に傷つきつづけてしまう。

いまの私がおもうことは

自分は完璧に、一生なれないし

私をきらいな、とか
私を苦手な、とか
大切じゃない人に

近寄らない
その人に愛されないことで
劣等感をもたない

私を大切にしてくれたり
好いてくれる人は

私がなにもしなくても
連絡くれたり
ご飯たべに誘ってくれたり
楽しいことを共有してくれたり
つまらない話も聞いてくれる

親に愛された実感が
まるでない、私は

つい、頑張る事で
いやなことも引き受けることで
愛情を得ようとする癖が
がっちりついちゃっていた

いつも
誰かのニーズをよみ
ニーズにこたえることで
居場所を確保しようとしていた

でも、最近
そんな無理もきかないとしになり

まさかありえないと思っていた

(不妊のため
長い期間子供がいなかったが
縁があり
里子を育てている)

育児をやることになって

こどもを愛するということに
むきあわざるをえなくなって

結局、自分を不完全なままでも
肯定し
うけいれて生きてないと

こどもにも
できないことを責め
条件ありの愛情しか
だせなくなることに
やっときがついた。

責任感についても

もう、生きていられるあいだ
とにかく
一生懸命
大切にしたり
愛したりすればいいと
割り切るしかなんだなと

責任感で
わたしの生きているあいだに
最低でも
ここまでの人間に
育てなければ、とか
こういう犬に
育てなければ、とか笑
考えて
向かいあうと
現実の対象と変わっていく
いろいろなことを
かえって見落としてしまう。

ADHDでもある私は
本当に
あっちこっちに
衝動的に手をだし
動き回り
家事は
やりそこないは多いし
仕事も、子育ても
なにもかも
中途半端だったり
頑張っても
つまらないミスで
信頼をなくしたり

昼食後や
長い会議では
めちゃくちゃ眠気に
襲われて

真面目そうにみえて
案外
適当なやつだと
思われてしまったり

自分を嫌いになることばかりな
人生であったけれども

里子もASDの傾向が強く
私はこんな年齢いってから
ADHDだということを
こどもの相談をしていた
カウンセリングのなかで
みつけてもらって

こんな特性をもちながら
よく生きてこれた
こんな特性がありながら
ASDの子供のパニックや
自傷によく立ち向かった、
自分なりに、と

ちょぴっとずつ
自分を肯定できるようになってきた

そしたら
なにもできていなくても
私と一緒に
生活してくれたり
遊んでくれたり
話を聞いてくれる人を
もっと大切に
しなきゃいけないなと
きがついた
きがつくのが遅いけど。

もう
認められようと
頑張るのをやめよう

こどもにも
〇〇ができないと
だめだよ、なんて
いいかたするのやめよう

ゆっくりゆっくり
その人なりに
その子なりに
その犬なりに
成長していく
生きていくのに
わたしも
深呼吸できるくらいの
ココロもちで
併走しよう
いきているかぎり

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