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こじらせ女子はいっそ精子バンクのドナーに恋してみよう

最近気づいたこと。私は大人になってからちゃんと人を好きになったことがない。

彼氏もパートナーもいたことがあるが、全部流れ(ずっと一緒にいて友達から仲良くなったとか)でそういう関係になった。
彼氏=好きな人っていうことなのかと思ってたが多分違うっていうことにアラフォーになって、最近今更気づいた。

私は相手の家族とできるだけ絡みたくない。話すのもだるい。あまり大切にも思えない。友人たちが、旦那の実家にしょっちゅう行ってるのとかすごいなって思う。私には絶対にできない。
昔のパートナーは実家が田舎だったので、正月に一緒に親戚の家に挨拶周りをさせられた。それで、親戚がフレンドリーだったり、素敵な家だったら良いのだが、それとは真逆の家だったりするとその時間がとてつもなく苦痛でその上、その家でいつ作ったかわからない独特の味の郷土料理の保存食を食べさせられたりして、私は海外生活=年齢の半分だがそれでもホームステイも一度もしたことがないのに、そういう日本なのに世界ウルルン滞在記のような経験をさせられて、かなりきつかった記憶がある。
そういうのを、愛するパートナーのためなら普通ならできるのだと思うが、もしくは最初の方はみんな頑張ってやるんだと思うが、私はそこで自分に嘘をついたり、無理する意味を見出せなかった。
つまり、伝統的な嫁としては失格だと思う。

17歳と19歳のときには恋に落ちた。その二人については、本当に神のように優しかった。
でも、多分私の積んできた徳が足らず、その二人とは結ばれなかった。
17歳の時に好きになった高校の先輩からは、人生で出会ったタイミングが違っていればきっと俺たちは付き合えたねと言われた。
私を傷つけないように言ってくれた。でも人生はタイミングが全てなのだ。
その二人は精神的にも大人だったのでもちろん年上だった。
以降、私はやさぐれてしまったのか運命を諦めてしまったのか、年上の男性と絡む場面すら人生でなくなってしまった。

たぶんその二人のことは本気で好きだったと思う。
ただそれ以降、他の誰かに対して同じ気持ちになったことがない。
当時は若くて純粋だったからだろうか。それとも、若さ故の盲目さで相手の悪い部分が見えなかったからだろうか。

私が「精子バンクの精子で妊娠しようと思う。」と友人に打ち明けた時、その前にパートナーを探してもいいじゃないかと言われた。
私にはその発想がなかったので「多分それでは間に合わない。(別にパートナーも欲しくないし。)」と即答した。
どんなモテ女だって、彼氏を作ってその人と子供を作ろうねってなるまでには最低生理周期1回分は時間がかかる。そうなると生理周期1回分を逃すことになる。しかも、相手の精子が子供を作るのに問題がないかどうかわからない。知人ドナーを探そうとしても同様に然りである。
今は子供を欲しい気持ちの方が勝ってしまってるのに、もしその人の精子のせいで時間を無駄にして、結果子供を授かれないとなってしまったら、この人と出会わなければよかったとすら思ってしまうかもしれない。

他人の恋愛に共感もできず、恋愛映画も観ない私は多分人を好きになると言う感覚がわからなくなってしまったので、精子バンクを利用するハードルがものすごく低いのだと思う。
そういう意味では私はオフィシャルにセクシャルマイノリティーなのかもしれない。
大抵の人は、好きでもない人の精子で妊娠するってどうなんだろうとしばらく悩むんだね、きっと。
その時間が私はゼロ秒だった。

しかし、精子バンクのすごいところは、ドナーのあらゆる情報が見られるのはもちろん、ドナーの顔も見られるし、ドナーの声が聞けるだけでなく、ドナーが書いた文章さえ見ることができる。
私は思ってもみなかったがドナーの文章を読んで泣かされてしまった。
「人生で一番面白かったこと」という項目で、私のドナーは私の大好きな映画のシーン(『E.T.』でE.T.がたくさんのぬいぐるみの中に隠れるシーン)の実体験版を書いていた(実体験でE.T.な訳がないから隠れたのは彼の犬だが)。それで1億年ぶりに胸がキュンとなった。
もしかしたら、それらの文章は精子を購入する女性に魅力的に映るよう、プロのライターに脚色されているものかもしれない。
でも、この世の誰かが作り出した創作の文章にしても、その言葉の選び方さえ、あまりにも私の心を動かした。
それだけでなく、その人が大切にしている記憶、場面、生き方は本当に私にとって尊敬できるものだった。私はきっと自分の人生の巡り合わせでは、こんな人にどうやっても出会えることはなかったと思うので、そんな素敵な心の持ち主の精子をもらえるなんてこれ以上に素晴らしいことはないんじゃないかとすら思った。だから精子ドナーを選んで後悔などあろうはずがない。
現実の世界で私はこの人には一生会えない。でもそんな可愛らしい人が、自分のベイビーの遺伝子上のパパであるということは誇り高きことである。
現実の恋愛は傷つく。ならば一生会うことのできないドナーに、一生片想いしていても、それはそれで良いと思う。

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