テーマ読書録:巨悪に立ち向かうには(老舎、野坂昭如)

(2020年1月の旧稿)

『四世同堂』
老舎
人民文学出版社2018年第二版

はじめて老舎のこの名作に手を伸ばしたのは、大学4年生頃だったと思う。はずかしながらいわゆる「世界の名著」をほとんど通読したことのない私は、妻の強いすすめでページをめくってみたものの、案の定数ページ読んだだけでどこかに放り投げてしまい、記憶しているのは物語の冒頭に出てくるご隠居の灰色のヒゲくらいという始末だ。だが、たとえあの頃無理やり読み進めたとしても、最後まで持つかどうかは全く自信がない。登場人物に感情移入しがちな私は、いわゆる「善人」として描かれた人々が悲惨な目に会うのに忍びなく、とくに自分がまだ純粋で、何かを信じようとしていた大学時代は、とてもこの本の凄惨さに耐えることができないだろうと、今は思う。

あれから10年以上が過ぎ、作品の散逸していた原稿が発見され新版を出したという新奇さも手伝って、私はようやく読み終えることができた。凄惨さは減退したとは思えないが、それを受け取る私の方は、いくらか打たれ強くなった。あるいは、惨状を前にしても、首を横に振り、はあと嘆き、そして何事もなく次の書籍に沈潜する文人根性が、すっかり身に染み付いてしまったのだろうか。

老舎が描く惨状は、日本軍の侵略によるものだ。そのことが、私をより複雑な気分にさせてしまう。日本の暴行には弁解の余地がないが、私は果たして、作中で果敢に抵抗した「銭黙吟」のように、徹底的にそれを批判し、抵抗する勇気を持てるのだろうか。「冠暁荷」のように下劣さを隠そうともせずに敵にしっぽをふり、同胞を嬲るようなことはさすがにしないと思うが、周作人がモデルと思われる「牛教授」のように、自身の研究に集中することを口実に、情勢から目を背き、結果的に敵に協力することにならないと、胸を張って保証する自信は正直言ってない。中学教師である「祁瑞宣」のように、「家族の生活がかかっている」ことを口実に、敵にできる限り協力せずに日々をやり過ごすことが関の山だろう。しかも、こんなのは単に小説を読んだだけの感想だ。絶対的な暴力としての戦争が本当にこの身に降り掛かってくるような事態になれば、私は小説を読む傍観者のように、正気を保てるのだろうか。

こんな思いが去来しながらの読書は、決して後味のよいものではない。その上、老舎は実に情け容赦がない。侵略者やその協力者である「漢奸」には純粋な憎悪をぶつけるのはまだ理解できるとして、無辜な北平市民にも次々と災いを落としていくのには心が痛み、日本の投降の数日前に祁瑞宣の幼齢の娘を栄養失調で殺した酷さには、さすがに閉口してしまった。だが、そうした残酷さと痛みこそが、戦争の真実であり、暴力の真実であり、平和な時代の読者でさえ耐えれないそれを、真正面から見据え描き切った老舎は、やはりとんでもない文豪である。

残酷な真実をもたらした張本人が侵略者であることは疑いようがなく、同胞の命運を嘆き、敵に憎悪をぶつけるのも間違いではない。むしろ戦争の現場でそれができる人間に、私は大いに賛辞を贈りたい。しかし、それでもなお、私は作中の祁瑞宣が最後の最後で、「反日」から「反戦」へと静かに変化していったように、単純に恨むことができないのだ。いくら憎しみ合っていた過去があっても、いや、あったからこそ、どこかで「和解」をしないと、いずれまた惨劇を繰り返す羽目になることを、私は懸念するからだ。

おそらく、老舎も同様なことを考えていただろう。でなければ、主人公たちのすぐ近くに、反戦の立場を持つ日本人の老婦人を住まわせ、彼女と祁瑞宣の会話をまるで演説文のような口調で書くはずがなく、日本投降後に、中国人が日本人に恨みを晴らそうと老婦人を襲おうとしたとき、祁瑞宣に彼女を守らせるはずもない。しかし、祁瑞宣と老婦人の間で和解が成立したからといって、ほかの中国人が彼女と和解したことにはならない。ましてや、国と国、人々と人々の和解など、もってのほかだ。そもそも、そんなことは可能だろうか。

日中、日韓、日露の間で繰り返される歴史をめぐる茶番劇は見飽きているし、思考を放棄した政治家が出任せに友好を謳い、同じく思考を停止した一般人が「いずれ戦争は必ず起きる」と諦観の如く宣うのにも反感しか抱かない。だけど、私になにか妙案を出せと言われたら、結局は沈黙することしかできない。だから、和解は不可能と絶望することが自然なように思われた。だが、諦めきれずに老舎の書いた文章を読み返すうちに、一筋ではあるが、光が差し込んだ気がしてきたのである。それは、祁瑞宣と老婦人と会話したときに、「英語」を使っていたということだ。

日本語のできない祁瑞宣と、中国語のできない老婦人。しかし前者は英語教員で英国大使館で働いたことがあり、後者はカナダ生まれと生粋の国際派だ。両者が互いの母国語を話せず、仕方なく第三の言語で会話したとき、そこに生まれたのは言葉の壁ではなく、逆にはじめて各自の国民や母国に遠慮することなく、本音を開陳できた自由なコミュニケーションだった。対立し、いがみ合い、果には憎しみ合う両国それぞれに属する人間が、そうしたものから自由になり、一人の人間に戻れた瞬間を、老舎は確かに描いていたのだ。「言語」によって象徴された脱し難い各自の立場を、別の言語で根本的に解消するという手口は、一見大胆不敵なようにも見えながら、実際は言語の本質に基づく極めて合理的なものなのだ。

もちろん、これですべてが一気に解決とはならない。そもそも、第三の言語を経由したからといって立場を完全に消し去ることは不可能だ。祁瑞宣と老婦人のような深い教養がなければ、英語は単なるツールでしかない。それでも、老舎の描く場面が、希望を思考する重要な取っ掛かりを私に与えてくれたことは、間違いない。

『火垂るの墓』『アメリカひじき』
野坂昭如
文藝春秋社1968

高校生の頃、私は日本語クラスのある学校に通っており、外国語の時間になると、英語クラスの人たちがいつもの教室に残り、日本語クラスだけが古い校舎の部屋に移動していた。そこはなぜか天井が無駄に高く、おまけにほとんど人が来ないため、授業の声が廊下までよく響き渡った。そんな場所で、一度みんなでジブリアニメの『火垂るの墓』を見たことがある。悲惨な物語が終盤に差し掛かり、重苦しくて誰もが口をつぐむなか、主人公の清太が敗戦の報せを聞き、「日本は負けたんか!」と喚き散らしていた。それを見ていた女子の一人が、教室の沈黙を破り「チッ」と舌打ちをしたのを、今でもよく覚えている。

時は変わって2019年12月8日、真珠湾攻撃の記念日にNHKが放送した特集を見て、妻と私は舌打ちどころではなく、抗議の声を上げ直ちにチャンネルを変えた。NHKはハワイにある日系人の強制収容施設の歴史を伝えようとする記念館の活動を取り上げ、真珠湾攻撃によって如何に苦難の人々を生み出し、しかも我々はそのことを知らないということに焦点を当てようとしたのだろう。だが、たとえそうだとしても、日系人を被害者として取り上げ、強制収容の負の歴史を語らせながら、自国の過ちに全く言及しないのは、中国人として見ていて反吐が出る思いである。

同様な例を挙げていけばキリがない。原爆をめぐる日本の語り方も大いに問題ありだ。日本人が戦争を語るのを傍観するとき、私はほぼ例外なく何らかの違和感を感じてきた。今回は老舎を読んだ後に、「それなら日本の作家は戦争による庶民の悲惨さをどう描いたのだろう」と読んでみたくなったが、それも反感を持つことを覚悟した上でのことだ。野坂昭如を選んだのはたまたま手元に本があっただけで特に理由がないが、強いて言えば、彼は自身の体験から『火垂るの墓』を執筆したのであり、そこに何かしらの自己弁護があるのではないかと想像したからだ。その自己弁護を、私はどう受け止めるのかを知りたかったのだ。しかし、果たして私は、共感を覚えることはできないにしても、特に反感を覚えることはなく、悲惨さを同様に嘆くことができたのである。ある意味拍子抜け、肩透かしを食らった気分だ。

おそらく、野坂が少しでも倫理的な思考を書いていれば、私は違和感を覚えていたことだろう。だが、彼はまったくそれをせず、徹底的に生々しい感覚の描写に終始した。『火垂るの墓』では冒頭からし尿の匂いが漂ってくる瀕死の清太を描き、中盤からは幼い兄妹の空腹感と病痛のオンパレードとなる。『アメリカひじき』では高度成長期を生きる主人公が来日するアメリカ人をもてなしながら、フラッシュバックのように占領下の食糧難と配給物資の味を想起する。こうした描写によって、少なくともこの2作品において、戦争の災厄は「お腹いっぱい食べられるかどうか」「明日も生きて目覚められるかどうか」という至極単純な、しかし文字通り致命的な事象に還元されたのである。

さらに野坂は、この2作品の文体でも巧妙な仕掛けをしている。関西地方の話し言葉をふんだんに散りばめた文章は、日本の文豪にありがちな一歩引いた冷めた目線ではなく、直かな痛みを伴って読者に突き刺さる。直木賞の選評では並み居る大家が文章を絶賛し、「計算しつくされた」「装飾的」と評したが、野坂はまさしく1つのレトリックとしてこのような文体を使ったのだろう。普通の書き言葉は、とある言語を操る人たちの最大公約数としての言語であり、どうしてもスマートすぎて生の体験を一部消し去ってしまう。その消される体験を、野坂は土着の言葉で見事に復元してみせたのである。

土着の言葉が生きる現場では、老舎が描いた大義と家族への責任感の間で揺れる祁瑞宣の姿は存在できない。すべては食べるため、明日も生きて目覚めるためという状態では、思考はそもそも意味を持たないからだ。だが、だからといって野坂と老舎が互いに否定しあったり、どちらかがより重要であったりするわけではない。生身の個人を圧殺し、無反省な同調を求める言葉の政治に、両者とも抵抗したという点では一緒だからだ。老舎が第三の言葉で個人のしがらみを取っ払うことを構想したとすれば、野坂は土着の言葉でしがらみが存在できない世界を構築した。いずれの戦略がより有効かではなく、いずれの戦略も、戦争という巨悪に立ち向かう我々にとって光明となり得るものなのだ。

だが、言葉が有効な手段だとしても、それはあくまで手段でしかない。言葉を思考そのものと認識するような視点を持ってしても、その思想を産ませるなにかがなければならない。巨悪に抵抗する私たちを突き動かすものは、おそらく言葉以外になにかあるはずだ。そこで、次の本の出番だ。

ジャン・ナベール(1887-1960) 著
杉村靖彦 訳
法政大学出版局2014

ここ数日間は、実に気の休まぬ数日間だった。

武漢で現在進行形で発生している事案により、私は帰国の予定を断腸の思いでキャンセルし、手持ち無沙汰の春節を日本で過ごしている。そんな不満は武漢に閉じ込められた市民の恐怖と不安と比べれば屁でもないが、それでも私の身にもある程度災いが降り掛かってきたことは確かだ。そして、さらなる災いを懸念して、ネットには武漢の人々の移動を糾弾する声が溢れ、武漢から来た者は親族でさえ無情に拒否する行為が称賛されている。私とて、積極的にこの風潮に同調する気にはなれないが、彼らの気持ちに共感していることは否定できない。その一方で、そうすることが感染の拡大を防ぐ最善策だとわかっていても、武漢の人々にこれ以上責苦を背負わせるのは決して正義ではないという思いは変わらない。糾弾すべきはこうした事態を引き起こした張本人であり、決して状況に反応した行動しかできない一人ひとりの市民ではないのだから。

だが、その張本人とは一体誰のことだろうか。初動対応を全くしなかった武漢政府だろうか。野生動物を食べようとする悪習を持ち続ける人たちだろうか。それとも、個人の衛生面に全く気を使わないこの国の人々だろうかーーいや、もっと広い視点で考えれば、SARSから17年も過ぎたというのに、未だに有効な感染症即応体制を築き上げられないこの国だろうか。高速鉄道に代表される経済成長ばかりに目を奪われ、その背後のリスクを黙殺してきた歴代政権だろうかーーさらには、世界中で災厄が続くのに、なおも自然破壊を続ける人間たちと、上記のことをすべて知りながら、自分ではどうしようもないと諦め、ある意味罪に加担している私自身だろうか。

このように考えると、いよいよすべてがわからなくなる。事態が終息したあとはスケープゴートのごとく誰かが責任を取ることになるだろうが、これだけのスケールを持つ問題がそう簡単に片付けられるはずもない。「悪いことがあったから悪いやつを懲らしめればいい」という単純明快な解決法は、すべての出来事が縦横無尽に絡み合う現代において、あまりにも無力であり、時には悪そのものを見逃してしまうリスクさえ孕んでいる。なにも感染症のような複雑なメカニズムを持つ事案だけがそうではない。アウシュビッツのような一見するとナチスという明確な犯罪者がいる悪においても、命令に従い粛々と立案し実行するテクノクラート、そして無感症を決め込む大量な市民たちの姿がいた。ハンナ・アーレントやレヴィナスたちが苦悩し解明したメカニズムが示すように、現代において生起する巨悪の背後には、現代社会に生きる人々すべての意志が関わっているということができ、その意味で、「悪いやつ」を見つけ出すような悪の語り方は、ここにおいて乗り越えることの出来ない壁にぶつかってしまう。

さらに、大震災のような自然がもたらす悪に対して、私たちの語りはいっそう困難を極める。被災者に心を痛める私たちは、この事態の責任者を追及することが可能だろうか。遺族たちが発する「どうしてあの人が死ななければならない」という問いに、私たちは満足の行く答えを出すことができるのだろうか。現代の巨大化した悪に際し、被害者たちは加害者を探そうにも特定が困難である。誰が何のために下した決断によって、被害者たちはかくも苦しむのか。彼らは「無名」な、「無姿」な何かによって苦難の境地に追いやられのであり、その状況を理解し甘受せよというのは土台無理な話である。その状況を本当に理解しなければ、3.11以降によく見られた「識者」たちの空疎な議論以上のことを、私たちは語ることができない。あるいは、「理不尽」という一言でこれらの事象を片付け、言葉の届かない宗教に沈潜し救いを求めることしか、私たちにはできないのだろうか。

長々と前置きを書いてきたが、結局の所、これらの疑問を一挙に解決しうるような答えは、現時点では存在しない。それでもなお、私たちは理屈抜きに、悪を目にするたびに憤慨し、悪を被る人々を思いやることができる。なぜそれができるのかーーそのことに目をつけのが、ジャン・ナベールの「正当化できないものの感情」という議論だ。

「正当化できないものの感情」といきなり言われると、ナンノコッチャと思われるかもしれないが、要はある出来事や行為を前にしたときの、「こんなことは許せない、あってはならない」という否定的反応だ。ナベールは悪を思考するにあたり、「先験的」、「道徳律」、「定言命法」といった小難しい用語から出発するのではなく、一人ひとりが持ちうる感情を最も根源的なものとして据えたのである。この感情の特色は、個人の意志で行う罪悪のみならず、戦争という複雑な状況や、自然災害など悪の意志を見つけ出すのが困難な状況をも対象にできる点にある。なぜなら、「こんなことは許せない、あってはならない」と感じるとき、私たちは加害者だけではなく、被害者が被る惨状をも目にしているからだ。

複雑な状況を前にしたとき、例えば武漢市民の窮状を伝える動画を目にし、すでに100人以上の死者が出たことに思いを致しても、私は「でも自分にはどうしようもない」と投げやりになりがちだ。3.11のような災害ならなおさら自分は関与できないと思うだろうし、アウシュビッツに至っては単なる歴史上の一事件と感じてしまうかもしれない。むしろ、私のような読書ばかりしてきた人間は、これまで得た知見からなんとかこれらの悪を説明しようとするだろう。その結果、はからずも悪に存立根拠を与えてしまい、「正当化」してしまっているのである。だが、「正当化できないものの感情」は、この至極当然に思われる正当化に待ったをかける。人間が罪悪や災いに満ちた現実の容認に傾きがちであるのは事実としても、ダイレクトな感情の反応として、現状を「許せない」と感じることができるのも事実である。つまり、規範による根拠づけから距離を置き、何が悪であるのかという問いを何度でも立ち上げる。そこに「正当化できないものの感情」の役割がある。

もちろん、この正当化への傾斜と、そのことから距離を置く働きは常にせめぎ合うことになる。果たして人間というものは、どうしても自分の気休めになるようなことを求めてしまい、自己の内部で完結するような正当化をしてしまう。しかし、「誰かが苦しんでいる」ということを忘れなければ、正当化は決して自己の内部で完結するものではなく、何らかの合意・間主観性がなければならないということに気がつくだろう。それはつまり、「正当化できないものの感情」に突き動かされ、「正当化」へと前進しつつも、絶えず「苦しみ」に触れ、再び「正当化できないものの感情」に立ち戻るという終わりなき旅である。

それでは結局何の解決にもなっていないのではないかーーと困惑する意見も当然出てくるだろう。しかし、悪を前にした空疎な議論を繰り返し目にし、すでに読むことにも飽きた私を再び動かしたのは、ご立派な理論体系ではなく、老舎と野坂昭如が描写した悪の現実だったことを考えると、むしろこれこそが唯一の方法ではないかとも思えてくる。結局の所、悪は尽きることがない。今の私にできるのは、目を背けずに(たまには目を閉じて休ませてもらうが)、悪の現実に問を突きつけることだけかもしれない。

(了)

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