見出し画像

命の不可逆性についてふと思ったので

わたしたちは、「あれ・それ・だれ・これ」があることを当たり前だと信じ、失われなわれるはずがないと願う。同じや繰り返しをどこか嫌悪しながら、恒常的な存在を「当然繰り返されるべき事象または現象」と信じる。
あるいはそのような強い思想はなくとも前提条件として意識する。だから、そこから逸脱する出来事にひとつひとつ衝撃を受ける。

誰かの死、事故、突発的な事象におののく。

でもほんとうは、日常で続いている現実のほうが不確かで、たった一瞬で誰かが消えていなくなったり刃物の一裂きで命は取り返せなかったり、取り戻しのきかない脆い不確実な世界に生きている。

『「いってらっしゃい」と朝見送って、
 そのままお父さんは永遠に帰ってこなかったよ』。

命の脆さを感じると、いつも母の淡々と語る様を思い出す。
生きることは常に死と隣り合わせであると再認識する。

全ての瞬間、出会いが「この人と話す最後かもしれない」と思いながら、それでも生の儚さを感じること、脆さを愛おしく大切にすること。すべてが奇跡の上に成り立っていること。

いずれ失われるとわかっていても、愛を止めない。
ただひたすらに愛を捧げ続ける。見返りを求めずただ注ぐ。その愛は別に恋人同士の愛情だけではない、友人や親子関係だって同じように。
そして自然の摂理。あらかじめ決められた順序の通り、悲しみや憎しみもその捧げた愛もあらゆる感情をもったわたしも、いずれ消えてなくなる。

どうせ消滅するなら注げるだけ愛を注ぎたいと、その願いこそがを今を生きるための後押ししてくれるのではないか。

なんて、
訃報に触れてふと思ったので、ここに書き留めておく。

お読みいただきありがとうございます。サポートは社会の役に立つことに使いたいと思います。