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映画「あのこは貴族」鑑賞記録(2021/2/27)

私は、去年から映画を自分から観るようになった。どんなきっかけがあったのかは覚えていないが、何かしら趣味を持たなければと思ったときに、真っ先に思い浮かんだような気がする。また、多部未華子の出演するテレビ番組を追っかけていたところ「あやしい彼女」という映画に出会った。これはなかなか面白いストーリーだし、俳優さんも見応えがあるし、音楽も好きだなと思ったのは覚えている。

今回「あのこは貴族」は今年観た何本目かの映画である。きちんと数えるべきなのだが、誰も気にしないだろうと思ってサボってしまった。そんなことはどうでも良くて、この映画に関する記録を残しておきたいと思う。

この映画に出会ったのは、前回「花束みたいな恋をした」を鑑賞した際の予告編であった。ここのところ、テアトル梅田で上映される作品には興味を持っていた。「私をくいとめて」のときの予告編で「花束〜」を知った。テアトル万歳である。

田舎から出てきて、搾取されまくって。私たちって、東京の養分だよね。

地方から都会に出てきた私にとって、そのセリフがいたく印象的であった。東京に住んだことはないけれど、地方から出てきたばかりの頃を振り返ると、どこか対等に扱ってもらえていないようなところがあったような気がした。

実際に作品を観ると、二人の対照的な主人公が決して交わらない階層(せかい)でそれぞれ苦悩を抱えながら生きている様子が描かれる。渋谷区松濤(しょうとう)で生まれ育った華子(門脇麦)は、何不自由のない暮らしを送ってきたが、自ら望んで結婚したものの、夫は仕事に追われて家に帰ることも少なく、姑からは跡取りを早く産むようにと釘を刺される。一方、富山県で生まれ育ち、大学入学を気に上京した美紀(水原希子)は、家庭の事情により学費を自分で稼ごうと努めるが、結局退学する。それぞれの置かれた状況は異なれど、自分がほしいものを手に入れようとする姿勢は共通している。華子はお嬢さんだけあって、一見して周りに流されているようだが、そうでもない。結婚をして幸せになりたいという意思は決して偽りのないものであった。実際、結婚をすれば幸せになれるかどうかという問題はあるが、彼女が恋人に振られてからそれほど時間がたたないうちに、良縁を求めて果敢に行動する姿はなかなか真似できるものではない。おとなしい見た目とのギャップを感じた。二人は異なっている部分も多いが、どこか交わっているところもある。終盤、二人がどのような人生を歩んでいくのか、注目してほしい。

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