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海の向こうのソレント(「1番近いイタリア2022年冬Vol.9 巻頭エッセイより)

目を覚ますと、前方に山が見えた。コブが2つ、どこかで見覚えのある山だと思っているうちに、車はカーブを曲がり、螺旋状の道を下るようにして高速を降りた。

一行は丘の上のレストランに着き、テラスに出ると、初めて自分たちがどこにいるかを理解した。テラスから望む湾の向こうに、ヴェスヴィオ火山が見えたからだ。今日は、私の第2の家族のお母さんの50歳の誕生日。朝、夜明け前に出発した貸切マイクロバスには、家族、親戚、友人が乗り込み、行き先を告げられないミステリー旅行に来たのであった。

お昼前に着いたのはミシュランの星も取る人気店。ヴェスヴィオが正面に構える開放的なテラスに座り、テーブルに置かれたワインを自分で注ぎながら、お腹を空かせて食事を待つ。

リズミカルに足を運ぶウェイターが料理を持ってくる。新鮮な食材が織りなす色とりどりの品々。イタリアらしい楽しさと明快さを忘れない。料理を味わい、口々に感想を言いながら賑やかに食事が進む。世の中に憂いなんてないのではないか。そんな家族の中に身を置きながら、家族の不思議さに思いを馳せていた。

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イタリアは家族社会だ。確かに家族経営の会社も多く、家族の絆の強さを所々で感じる。日曜日にはほぼ必ず3世代揃って食事をし、離れた家族には毎日のように電話をして細かく近況報告をする。節目の誕生日となればこうして一族が集い、延々と何時間も食事をする。なぜだろうか。なぜイタリアではこれほど家族が大切にされるのか。家族主義の根底には何があるのだろうか。

イタリアの歴史を見ると、この国は繰り返し敵の戦場となってきた。476年のローマ帝国の崩壊以来、異民族の侵入と略奪が繰り返され、都市国家の間でも戦争が続いた。その度に住民の生活の場は戦場となり、彼らの支配者もしばしば変わった。そんな中で唯一絶対に信じられるのは家族だったのではないだろうか。厳しい環境の中でなんとか生きていくために、人々は使命と愛を持って家族を守り、皆に守られて育った子はやはり家族の結束の大切さを骨身に分かっていて、大人になると自然と自らの家族に愛情を注ぐ。家族を繋ぐ母の料理は温かく、お金がなくても手に入る材料で工夫を重ねて作られる一皿には、家族に美味しく食べてもらいたいという願いが込められているのだった。

それは21世紀の今も少しも変わらない。不合理な事、大変な事を乗り越えていかなくてはならない。しかし、どんなに外の世界で辛いことがあっても、学校の成績が悪くても、彼女に振られても、帰れば全てを知った家族が慰める。性格や個性はそのまま認め、応援する。誰かに問題が起これば、家族が一丸となってあらゆる手を尽くす。秘密も偽りも不可能な、暑苦しいほどの絆。国全体の経済指標には表れないけれど、やはり家族の力がこの国の底力だと思う。

そう思いながら目の前の家族の姿を見る。ダイエットしたいお年頃の娘の皿に母は並々とパスタをよそる。娘が小言を言いながら皿を引くと、文句が多いと口喧嘩になる。一人暮らしをしたいという息子に、父は、それならば仕事と住む場所を見つけてきなさいと言う。息子は何も言えずに視線を落としてスマホを見る。どこかで見たことのある風景だった。海を越えた遠い地からくしゃみが聞こえた気がした。

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こちらの記事は、2022年冬号「1番近いイタリアVol.9」巻頭エッセイの抜粋です。

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