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ルーツミュージック、ルーツムービー③

オマージュについて、考えてみます。
その言葉はよく聞かれると共によく使われます。
尊敬の念で基になる原作を意識して、似せたものにする表現のことを意味します。
そしてオマージュも時代を経ることで重層化しているかもしれません。元ネタの元ネタの元ネタもあり得ます。貫かれた様式美の様相を呈しているならば、これは伝承という表現に当てはまるケースなのでしょう。

単にルーツを垣間見ることが正しい理由とは、作り手が傲慢になることを防ぐということではないかと私は思います。
オリジナルに拘る、これはオリジナルの凄さだとよく耳に目に飛び込んできます。
しかし芸術的コンテンツの長い歴史を鑑みるに、概ねその表現が既にどこかで行われ使われた表現であることは非常に多いのです。知らない間に焼き直しであったのだと気付く時が早いか遅いかの違いに過ぎないのだという前提に立つことが、自らクリエイターをもし名乗るのであれば、条件とすら思うのです。

確かにテクノロジーの日進月歩、目新しい奇抜さが大きなコストを懸けずに様々な場で触れる機会に遭遇している現代社会ではあります。反面、人間の喜怒哀楽は普遍性を帯びています。理不尽に対する怒り、不正を憎む心、愛する者への献身的な態度、幸運に胸踊る感情、恩人の死を悼む時…こうした思いに封建時代も民主主義も、私は関係なく人間の本質は変わっていないと考察します。

つまり、感情移入を促すための方法論について、過去は古くて現代は新しいという捉え方は時間軸が見えていないと言わざるを得ません。今日の日は明日には過去になるのです。

この点にオマージュの原則が存在します。
もしかしたらこの表現は既に使われていたかもしれないと一歩だけ停まる事で表現者の矜持が問われます。故に知識が大切だと痛感します。よく知らない事で大胆に振る舞えた、表現できて良かったで称賛される事が多少見受けられるケースが様々な媒体であります。この限りない自己承認欲求が傲慢なのです。

この傲慢が得てして経済活動と結び付きやすいのが難点です。何事も拘りには理由があり培われた時間があってこそ個性に昇華されます。個性を投げ売りするような姿勢は自滅する、もしくは淘汰される対象に他なりません。傲慢は言い換えると複製できる安価な代物、即席商品です。
一般的に即席商品が壊れやすく、日持ちがしない点は周知の事実です。であれば、採る道は回り道です。色々なジャンルに興味を持ち、様々な人的交流を重ね、社会経験を深め、人間を知ることが表現に深みを与えてきます。要領のみで目的を仮に達成した時、その後には尋常ではない苦しみが訪れてくると想像できます。敢えて、転ばぬ先の杖を認識するならば、回り道しか表現の質を高める方法はありません。

オマージュの本質論には人間論が重要なファクターなんだと、表現していくとはそうした事だと私は解釈しています。

こちらは青さが鮮やかな麦畑。
今年は通年で山口県の野菜や果物、特産品を撮り続ける事業に従事しています。普段は無意識の風景が連綿と続く時間と人の思いによって、普遍性が成り立っている事に気付く今日この頃です🍀

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