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50代にはよく知られた森昌子の代表曲の一つ『哀しみ本線日本海』
この名曲のバックボーンを推察するに、かつて現存した寝台列車の‘日本海’をモデルに所謂、運行ラインであった北陸から東北への山陰の海の景色からの心象風景と登場人物の人生をシンクロさせたのは想像に難くありません。

一方、加山雄三の名曲の一つ『海』
こちらはご自身馴染み深い湘南からの太平洋ラインからの日中の景色、広大かつ穏やかな景色と登場人物=ご本人の未来や希望、愛についての壮大な人生観をシンクロさせているのも直ぐに納得させられます。

この海の風景から想起、もはや性質みたく感じる環境の違いとは何なのか…これは直接体感することで一層の理解に繋がるものです。

前説が長くなりましたが、あまり経験する機会は大抵の方には稀だと思われる海上撮影を本年は山陰側と山陽側、それぞれ沖まで繰り出し2時間以上帯同したエピソードをご紹介します。

山陰側は6月の漆黒、夜の漁り火のいか釣り風景の撮影に繰り出しました。日本海響灘の風から荒い汐の流れに揺れながら、視界が徐々に定まらなくなる身体の最初の気づきはまさに生欠伸の連発、ヤバさの始まりです。操業の本格開始までのインターバルの停留時間が約1時間から2時間あった、この間に三半規管に確実な変調をきたしてしまいました。その後は…ご想像にお任せとしまして。。
ディレクターとしての仕事は海上では崩壊し、カメラマンに完全に委ねる始末でした。

帰港後、釣り上げた‘けんさきいか’が水槽にぶちこまれます。ギリギリの意識で防水した小型カメラのGO-PROを水槽に突っ込み、‘いか’が映っていることを祈るばかりの情けなさをこの歳で体感しました。
その時、頭の中でリフレインし続けていた『哀しみ本線日本海』のサビが収まるまでにはしばらくの時間が必要でした。

そして、先日12月某日。
太平洋に連なる瀬戸内海、沖にて‘まだこ’の海上撮影に臨んだのです。前回の醜態が印象的だったせいか周囲の不安の声を他所に、酔いどめの種類や服用のタイミングと、さらには消化をさせておくべく、朝食のみで済ませ、一切飲食は取らずとした事前準備に余念はありませんでした。
ある種、午後イチからの出航が功を奏したのも幸運としか言い様がありません。
そして肝心の天候も瀬戸内の凪の穏やかさに救われ、終始万全の体調で‘たこつぼ’回収からの‘まだこ’がニョロッと現れる等、撮影は首尾よく事なきを得ることができました。
今度は『海』のサビが脳内でリフレインしていたのは言うまでもありません。

海に門外漢な者として、土地柄的性質と言って良いのか、海にも表情があり触れて分かる感覚があります。景色とは良く言ったもので、気色(けしき)とも書きます。気の中には思いや感情が含まれます。誰が付けたか分かりませんが、山陰と山陽という地域の呼称にも何かしらの云われがあるのでしょう。差別的とは違う人が織り成す連なってきた気は、もしかするとまた違う気色になることもあるのかもしれないと。

民俗学的には沖縄のニライカナイの伝承も考察にある等、‘海’については考え得るテーマになるなとふと気づきも感じた事が思わぬ収穫でした。

出航場所の戸田漁港の事務所の上を走っている山陽本線の貨物列車。叙情的です。

こちらが‘まだこ’の撮影時。
‘けんさきいか’でも活躍いただいた撮影担当の冨田さん。ドキュメントタイプに強く、いつも助けられております。今回、冨田さんからの様々なアドバイスが肝でした。

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