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書いて、今の自分を定義する

仕事柄、言葉の定義を重視することが多い。多いというか、定義がすべてである場面がほとんどだ。書くことは定義付けの連続のように思える。

言葉の定義は、文脈によって範囲が変化する。一般的な定義は辞書に載っているが、会話の中で使われる言葉の定義がお互いにピタリと合致していることは少ない。すれ違いが基本。だからぼくらは、慎重に言葉を重ねながらピントを合わせるようにして会話を進めていく。非言語コミュニケーションが排されたテキストのやり取りにおいては尚更のこと。

契約書は、そうしたすれ違いを予め避けるための手段の一つだ。少しカタい話を先にすると、一般的な契約書には「定義条項」(Definitions)と呼ばれる規定が存在する。たとえば次のように。

1.定義
1.1 クリエイターが本サービス上に配信したデジタルコンテンツまたは本サービス上で運営する各種サービスを利用する者を「ユーザー」といいます。
1.2 ユーザーのうち本サービスの会員登録を行わないで本サービスを利用する者を「ゲストユーザー」といいます。…(以下略)
note総則規約

1.1の「ユーザー」、1.2の「ゲストユーザー」の定義は、WebサービスやSNSを初めて使う人にとっては「そういう意味だったのか」となる一方で、ある程度慣れた人にとっては「そりゃそうでしょ」となるものだろう。デジタルコンテンツがかなり普及している今、少なくとも不意打ちとなるような定義ではなく、すれ違いはそう多く生じないと考えられる。

では、両条項に出てくる「利用」はどうか。上記規約において「利用」の定義は明確にされていない。その意味するところは一般的な定義に委ねられ、多くの場合まずは辞書を参照することになる。

利用[名](スル)
1 (物の機能・性能を十分に生かして)役立つようにうまく使うこと。また、使って役に立たせること。
2 (ある目的を達するために)便宜的な手段として使うこと。方便にすること。
goo辞書

note株式会社の上記規約における意味は、おそらく1.の「役立つようにうまく使うこと」だろう。「使用」との違いを意識して「利」に比重をかけるのであれば、noteのサービスをユーザ自身の役に立ててもらうといったニュアンスを捉えることができる。

しかし、「人を利用する」といった表現があるように、2.の意味で使われる場面(あまり良い意味ではない場面)もある。

たとえば、上記規約の想定していない目的を達するためにnoteのサービスを便宜的に使用した者がいた場合、「ユーザー」に該当するのか。想定なので具体的には立ち入らないが、規約上で定義されていない分、すれ違いの生じる可能性は高くなる。「ユーザー」に該当しないのであればそもそも上記規約が適用されないなど、重大な局面を左右するすれ違いにもなりかねない。

だからといって「利用」の定義を規約上で徒に定めると、いざというときに意図しない制約を生んでしまう可能性がある。敢えて予め定義せず、文脈に応じて当事者が協議できる余地を残しておいた方がいいこともある。

多くの場合は定義を明確にしておく方が望ましい。解釈の余地を残さないためというよりは、議論の範囲を限定しておくためだ。予期せぬ方向に議論が振れないよう「これは、こういう意味ね」とフィールドの範囲を画定しておく。ビジネスなら、議論のコストを下げることができる。


と、前書きが長くなったが、定義付けとはつまり範囲の画定であり、「そうであるもの」と「そうでないもの」を分けることだ。境界線を引く行為と言ってもいい。契約書における定義条項がそうであるように、境界線を引くのは言葉を「書く」ことによって行われる。

今の自分が「これは、こういうことだ」と考えているのをはっきりさせておくために書く。自分が見て、聞いて、感じ考えたことが何であったかを定義する。契約や約束でないのであれば、未来永劫その定義に納得していられる保証をする必要もない。今の自分との決別だったり未来の自分との約束であれば別だが、定義はいつ書き換えたっていいはずなのだ。

書くという定義付けを通じて、今の自分の思考・感情の範囲を一旦画定する。未来の自分とのすれ違いを避けるために厳密に定義しておいてもいいし、敢えて曖昧な定義をしておいてもいい。あるいは、この話については未来の自分とゼロベースで話し合いたいから、今は定義を設けず何も書かないという選択をとることもあるだろう。

言葉にすれば、意味が画定する。定義がなされる。それが厳密か曖昧かはあまり大きな問題ではなくて、一旦の画定によって今の自分を保存しておくことに意味があると思っている。

これまでも書くことは記録であり、自分の客体化であると考えてきた。ただ、今の自分を眼前の独立した存在として切り離すというのは、今の自分の思考・範囲の画定にほかならず、「定義」という表現がしっくりくるのではないかと思い、このnoteを書いた。

過去と同じようなことを言っているような気もするが、たぶん微妙に違う。だからこのnoteもまた新しい自分の定義であり、きっと何らかの画定にはなっている。



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