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書籍紹介「Ghetto」- Giorno della memoria(ホロコースト犠牲者を想起する国際デー)関連のイベントに参加して

昨日の1月27日は誰もが知る「ホロコースト犠牲者を想起する国際デー」である。ただ、日本に住んでいるユダヤ人の数は少ないので、日本ではこれに関するイベントは、恐らく、殆ど行われていないと思う。だって、終戦記念日を忘れないためのイベントだって、北海道ではほぼないくらいだから、海外で行われた忌まわしい絶滅政策・大量虐殺を思い出しましょう、などとは誰も言わないんじゃないかと思う。

Noteでも何回か触れたが、私はここ数年シナゴーグ(の装飾)にはまり、東欧を旅する「シナゴーグ荒らしの女」をしている。繰り返すが、決して"荒らし"をしているわけではなく、各種シナゴーグを訪れて見聞を深めているだけで、「どこかの無知識な人が日本の木造建築にいたずら書きをする」のと似た事件性のあることをしているわけではない。
また「シナゴーグ」=「ユダヤ教の会堂」の意味であるため、シナゴーグにはまってから必然的にユダヤにも興味を抱くようになった。だから、この1月27日前後に行われるイベントにも注意を払っており、26日には本の紹介に、昨日はトークパフォーマンスに参加した。昨日のイベントはぱっとしなかったが、本の紹介は興味深かったので、ここで紹介したいと思う。


※本について「Ghetto(Daniel B.Schwarz著)」

これは、ホロコーストについて述べられているわけではなく、「Ghetto」という言葉について、言葉の歴史について、コロンビア大学のDaniel B.Schwarz教授が書いた書籍である。こういった本はきっちりと内容を理解すべく日本語で読みたいので、邦訳版が出たら読もうと思い、教授自らが登壇し、サインももらえるにもかかわらず、敢えてイタリア語版を購入しなかったが、教授とトークしたジャーナリストのAnna Momiglianoの質問も非常に興味深かったので、Noteに残しておきたいと思った次第だ。
原本は英語なので、英語がバイリンガルの方用にリンクを貼っておこう。

※会場について Memoriale della Shoah di Milano

今イベントは、Memoriale della Shoah di Milanoという、ミラノ中央駅の奥にあるホロコーストの記念会館で行われた。実際にいつから一般に向けて公開された場所かはわからないが、ここ数年のことだと思う。というのは、ミラノはイタリアの大都市で唯一、Ghettoのない都市であり、シナゴーグはあっても、ユダヤ教徒のデモ等の活動が盛んではないが、当時、Binario 21(21番線ホーム)からAuschwitz-Birchenau行きの列車が出ていたため、生還した方々やその親族にとっては重要な意味を持つ場所であるのと同時に、時代背景や歴史を知らない世代が増えてきた近年、そういった若者たちにも立地的にアクセスしやすい場所であるからだ。

外観の上部は写真のような感じだ。
Invitami Notte a Immaginare Le Stelle=「星を想像するのに私を夜に招待して」という一見するとロマンチックなフレーズに感じるネオンが付けられているが、この「星」は、空の星と、ダビデの星をかけているようだ。Marcello Malobertiというアーティストの作品だが、Liliana Segreというホロコーストを生き抜いたイタリアの上院議員と計画して作られた作品だそうである。

駅の線路下にある

入り口には、銃を持った軍の人と警察の人が4,5人おり、荷物検査もあり、かなり警備がしっかりしているので、安心して入館できる。

入り口を入ってすぐの壁
Indifferenza→皆平等、と理解した
本の紹介のスクリーン

※「Ghetto(ゲットー)」という単語について

いつも書いていて思うが、私という人は前置きが長い。もう飽きてしまった方には申し訳ないが、漸くここから本題の「Ghetto」に移ろう。
Ghettoはイタリア語で、1516年にベネチアにあったユダヤ人居住区の名前が起源の単語である。ベネチア語の方言geto(発音ghèto)を由来としており、ドイツをルーツとするアシュケナージ系ユダヤ人が暮らしていた場所が鋳造所(gettata di metallo fuso)であったため、gettataからghettoと呼ばれるようになったそうだ。ちなみに現代は鋳造所はイタリア語でfonderiaと言うので、語源は初耳だった。

イタリアには然程ユダヤ人がいないのにもかかわらず、なぜそれが世界的にユダヤ人街を意味する単語になったのかは、恐らく、本を読めばわかるのだと思う。きっと、津波が日本で多発したり、カラオケが日本で発祥したから世界の共通言語になったのと似ているのだろうが、その実はわからないので、いつか邦訳された本を読んでみたい。

また、「Ghetto」というとアメリカのスラム街のことも指すが、これは「隔離された場所」「マイノリティーの住む場所」という意味でユダヤのそれをアメリカの黒人が多く住む地域にも使うようになった、ということだ。

※豆知識

ローマでは"il ragazzo della piazza"、直訳すると"広場の少年"という表現をユダヤ人に対して使うそうだ。ミラノでは一切聞かない表現であり、本にも勿論書かれていないので、豆知識として覚えておこうと思う。もしかしたら他のヨーロッパ諸国でも、似たような表現をする国や都市があるかもしれない。もしご存知の方がいらっしゃれば、コメントをいただければと思う。

他にも様々な考察、質疑応答があったが、何しろこのジャーナリストの方も知識が豊富なゆえに、1つ1つの内容が濃くて、本全体の内容がつかめずに時間切れとなってしまった。
それゆえ、本とは別に、通訳者のワンフレーズで心に残ったものを紹介したいと思う。
「La verità si trova dentro l'anima」→真実は魂の中にある
色々な場面で使える奥深いフレーズだと思った。

※昨日のパフォーマンスについて

ぱっとしなかった、と書いたが、それでも2,3興味深いことはあったので、少しだけ触れておこう。

パフォーマーの女性は、ヒトラーの妻のEvaが写真館に勤めており、そこでヒトラーと知り合って、というところから朗読を始めた。1970年代に書かれ本を元に作ったパフォーマンスのようだが、その本に載っているというヒトラーの好物が、パスタにナツメグとトマトを入れたものだということ(その瞬間会場のイタリア人は「オェーッ」と言っていた)、またヒトラーは自身をアーティストだと公言していたが、便器を泉として発表した芸術家のMarcel Duchampと比較し、負を生むアーティストと、現代にも影響を与え続けるready madeのアーティストと説明していた辺りが個人的な興味をそそった。

スライド①
スライド②
ヒトラーの隠れ家で入浴するドイツ人女優Renate Müller
スライド③
妻Evaとの結婚の夜に聴いた曲「Blutrote Rosen」
その翌日、2人はそれぞれ自殺した、と言われている
スライド④
HitlerとDuchamp

※おまけ①

最後に、まだ紹介していなかった(はず)のユダヤ関連の映画を1本。
Persischstunden(邦題: ペルシャン・レッスン 戦場の教室)」

内容は、「2人のユダヤ人男性が収容所に搬送中に、お互いが持っていたパンとペルシア語の本を交換する。ペルシア語の本を受け取った男は、生き延びるために自分がペルシア人だと偽り、架空のペルシア語を作り、ドイツ人の軍人に教えるが、その結末は・・・」という話である。日本語版も出ているので、もしまだご覧になられていない方は是非。

ポスター: ペルシャン・レッスン 戦場の教室


もう一本、ユダヤとは無関係だが、否認主義者、もしくは歴史修正主義者に関するフランス映画を紹介しておこう。負の歴史をないものにしたい人がいることを知る、という意味で参考までに。
L'homme de la cave(英題: The Man in the Basement)」

演技派のFrançois Cluzetが否認主義者役のため、誰でもイライラさせられること間違いなしの映画なので、ストレスが溜まっている時は見ない方が良いと思う(苦笑)


※おまけ②

私の書いたホロコースト関連の記事を下に貼ります。
お時間があれば是非読んでみてください。


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