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危うい美しさについて

※季節外れですが、以前書き溜めていたものを時々抽出して載せます。

9月に入り、ルーティーンが戻ってきた。
つまり、私にとっては、ダンスが再開し、フランス語の文化講座が再開し、アートの展覧会が再開し、イベントが再開し始めた、ということだ。
街には再び活気が戻り、こんがり、もしくは真っ黒に日焼けした人々が溢れかえる。

そんな中、どっきりハラハラさせられたことがあった。
6月には白くて子供に見えた16歳の少女が、9月には小麦色に焼けた17歳になり、ブルーの瞳と伸びた金髪でほほ笑む姿に、6月にはぶかぶかのTシャツで隠していたたたわわな胸を、9月にはbodyでくっきり目立たせている姿に。そしてそんな彼女たちが踊る度にずれるブラジャーを上に持ち上げる姿に。
まだ15歳だった少女たちが16歳になり、ミニスカートから伸びるほっそりした脚を無防備に出し、陽のとっぷり暮れた道をテニスのラケットを背負って歩いていく姿に。

女の私でもドキッとさせられるのだから、男には相当な刺激だろうと思うが、当の男たちは、20代半ばくらいの、むっちりした脚と臀部をした女がミニ丈のタイトなワンピースを着る姿に目が行くらしい。
そんなむっちり、日本人目線では「でっぷり」した尻のどこがいいのか。
弾けんばかりの桃のような可憐な16、17歳の少女たちの美しさの方が、見ていてずっと心地が良いだろう、と思うが、そのような初々しさには、どうやら目が行かないらしい。
これは性別の違いからくるものか、思考の違いか、それとも私がオバサンになりすぎて若さを欲しているのか、そのどれかは・・・謎である。
一つ言えることは、ここ数年、若さを目の当たりにしてもじれじれしなくなり、それを貴いもの、眩しいものと認識できるようになった、ことだろう。
つまり私も、十分な中年になった、というわけだ。

イメージ: François Ozon「Jeune et Jolie」
17歳の妖艶な美少女を演じたMarine Vacthが、私の思う"危うい美しさ"の代表です。


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