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命長ければ恥多し? (毎日日記を書く ~98日目~)

 DCXです。歯磨き粉ってどう考えても粉ではないだろと思うんですが、なぜ粉という字を使うんでしょう。昔は粉だったんでしょうか。


 「人生100年時代」という言葉が国を挙げて使われてますが、自分はこの言葉、ちょっと嫌だなあと思っています。

 医療が発展して、これまで助からなかった人間を救えるようになったのは喜ばしいことなのは間違いありません。その一方で、年を取って病気になったとしても、治療して少しでも長く生きることが美徳とされる時代になっているのも事実です。

そもそも、長生きすることは本当に幸せなことでしょうか?

 私はそうは思いません。なぜなら、年を取って働けなくなってもいたずらに生き続けることに意味を見出せなさそうだからです。働けなくなったら、あとは現役世代に支えてもらいながら生き続けるだけになります。そうして現役世代の負担を増やすのはあまり良いことではないですし、誰かに活かしてもらってるみたいな状況が幸せとは到底思えません。

 「命長ければ恥多し」という言葉があります。元は故事成語かなんかで中国の言葉ですが、徒然草でも引用が見られます。意味は言葉通りで、

長生きすると恥をかくことも増えるから、適切なタイミングで死ぬ方がいいよね

みたいな感じ。自分は古典の授業で初めてこの言葉を目にした時、「とても美しい考え方だな」と感心した覚えがあります。最期まで周りの人に迷惑をかけない、美しい引き際です。自分も、年を取って苦しんで死ぬよりも、ある程度元気なうちに周りに迷惑かけないように死にたい、と考えるようになりました。それが最後の幸せだと。

 もちろん私自身の考え方ですし、否定する人がいていいと思うのですが、この「長生きすることだけが幸せじゃない」という考え方は、もっと多くの人に持ってもらいたいものだと思っています。


 あくまでも私個人の考えではありましたが、元気なうちに死ぬことのメリットは、社会的に見ても当然あります。

 人間が長生きできるようになったため、高齢者の数が増え、現役世代の負担もそれに応じて増えています。寿命が延びるたび高齢化は進んでいき、現役世代の割合が減っていくという負の連鎖をどこかで止めないといけないと思っています。

 少し私の思想かもしれませんが、日本の人口はちょっと多すぎます。日本の土地やその資源、技術力で1億2000万以上の人口を支えるのはちょっと無理があるのかなという気がしています。もう少し寿命が短いほうが健康な社会を維持できるのではないかと思ってます。


 周りに迷惑をかけないうちに死ぬために必要なものは何でしょうか。いろいろあるとは思いますが、自分はずばり「安楽死制度」だと思ってます。安楽死制度があれば、例えば思い病気にかかってしまってもう先が長くなさそう、みたいなときに、自分の意志で自ら命を絶つことで、周りの負担を減らすことができます。

 安楽死制度については世界中で議論が続いていますが、自分は導入すべきだと思っています。高齢や重い病気になって、誰かに支えてもらうしかない人生しか残されていないとなったとき、死を選ぶという選択肢はあって当然だと思うからです。

 もちろん、安易に安楽死制度を導入すると、本来死ぬべきでなかった人間が死んでしまう恐れもありますので、慎重になるべきなのは確かです。なので、まずは例えば「病気で死に至る確率が高い人 or 80歳以上」とかの厳しい制約を設けたうえで導入してみるといいのではないかと思っています。


 自分に死が迫っていると感じたとき、後悔なく死を選ぶことができるように、後悔のない人生を送っていきたいですね。それではまた。


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