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これは、私が若かった頃、大学病院の小児科助手として働いていた時のお話です。

 当時、夜間小児科のコンビニ受診が広がり、業界内でも問題になっていました。教授からは「緊急性があるかは親の判断だが、重症かどうかの判断は医師にある」と言われていました。

 今は、大学病院を受診する際には紹介状がなければ、選定療養費を請求できますが、当時は、そういった制度はありませんでした。

 病院は小児科医が2交代で当直しなければならないほどハードにもかかわらず、患者を診れば診るほど紹介患者率を下げるという悪循環に陥っていました。そのうえ、仕事をすればするほど、大学病院から睨まれるという理不尽な状況でした。

廊下を駆け回る子どもに、思わず…
 そんな中で起きたことです。

 ある夜、明らかに緊急性がないにも関わらずに救急車を利用された方がいました。診察では急性上気道炎による発熱ですが、子どもは大学病院の広い廊下を駆け回っています。それを見た私は思わずこう言ってしまったのです。

 「救急車をタクシーがわりに使うな!」

 私のこの発言がきっかけで、保護者とのケンカが始まりました。

 そしてさらに翌日。朝から両親が小児科外来に押しかけ大騒ぎとなりました。総務課が両親を連れ出していきましたが、その剣幕にみんな顔面蒼白でした。

■「休暇」という名前の謹慎を言い渡され…


 その日の夕方、教授に呼び出されると、休暇を取るように言われました。事実上の謹慎ということです。自分では間違ったことをしたり、言ったりしていないつもりでしたが、謹慎処分は辛いものがあります。それに医局員にも迷惑をかけてしまいました。

 家に帰っても、私は間違っていたのだろうかとウダウダと考えてしまい、寝ようにも眠れません。食欲もだんだん落ちていき、時間がたつと、自分が悪かったのではないか、どうしてあんなことを言ってしまったんだろうと、後悔の念が強くなっていきました。

 そして、みんなに迷惑をかけた私はクビかなと考え、ため息が出るばかりの1週間。そんな折、医局長から電話がかかってきました。病院に来るように言われて向かいましたが、正門から出勤することはできません。病院の裏口から会議室へ来るように言われたからです。

 会議室に入ると、小児科教授、院長、事務長、顧問弁護士、例の保護者がいました。関係者をそろえての話し合いをするためです。

 ことの次第を教授が話し、私の記録したカルテ、子どもが病院内を走り回る映像、救急隊の証言する映像がスクリーンに映し出されました。

 そのうえで、私の意見は間違っていないことと、暴力脅迫行為には当たらないことを、教授と弁護士が保護者に伝えました。さらに、私に落ち度はなかったのに謹慎もさせていたことを伝えると、保護者は机を強く叩き、立ち上がりました。

 「後は、法廷で争う!」

 保護者は私たちを睨みつけると、さっさと会議室を後にしました。

■後日聞いた、保護者の連日の言動


 これは後から聞いた話ですが、あの保護者は連日、病院で暴言を吐いて回っていたそうです。一方、緊急で医局会が開かれ、私のカルテの記載には落ち度がなく、小児科医局で結託して立ち向かおうと、教授がみんなをまとめてくれたそうでした。

 私は謹慎をしていた一週間、落ち込んでいたのでパソコンのメールを一度も見ていませんでしたが、開いてみると医局員からの励ましのメール、ちょっと笑えるメール、お叱りのメールが何十通も来ていました。

 教授から直接褒められることはありませんでしたが、私のカルテ記載については教授が何度も褒めていたことを、全てが終わった後、別の方から聞きました。私は医局員の気遣いが身に染みて、涙が止まりませんでした。

 今振り返ってみても、この時の休暇(という名の謹慎)は忘れられません。急遽、1週間も休んだ私に夏休みはありませんでしたが、休暇以上の元気をいただきました。

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