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妊娠出産子育てで失うものもあるという事実

妊娠してからもやもやしていて、それをどうしたらいいかわからなくて、助産師さんに話を聞いてもらいました。そこで言われたのが「妊娠や出産で失うものもありますよね」という言葉。私は、失うものから目をそらしていたから、もやもやとして苦しかったのだと気づきました。


妊娠したら、「おめでとう」。それはそう。新しい命の始まりがおめでたいことだから。でもプラスの面だけじゃなくて、マイナスもあります。体調の変化。たとえば体型の変化。嗜好の変化。動悸や息切れ。疲れやすい。「つわり」と一言でまとめても、食べたいのか食べられないのか、気持ち悪いのかめまいがするのか眠いのか、体の変化は十人十色です。それらが単独でくることもあれば重なることもあります。おさまったかと思えばぶり返すことも。何をどこまでマイナスと捉えるかはそれぞれだけど、「今までの自分じゃなくなること」を受け入れられないと、体調だけではなく精神的にも辛くなります。


私は食べ物の嗜好が変わることが地味に辛かったです。今まで好きだった甘いものが美味しくない。今まで好きだったコーヒーが美味しくない。かといって何か代わりになるものも見つけられず、何を食べても美味しさを感じないという感覚は、食事というより自分にエサをあげているような気持ちになりました。栄養のために食べることと、娯楽や楽しみとして食べることは、全く異なるのです。


夫に対しても、仕事をしてる上に今まで以上に家事をしてもらい、育児をしてもらい、休みの日には上の子を公園などに連れ出してもらって私が一人で寝られるようにしてもらっていたので、申し訳なさがありました。上の子にも、抱っこや甘えを受け止めきれず我慢させているなと思いました。そうやって、自尊心が削られていきました。


仕事においても、キャリアをどう築いていくかは妊娠出産子育てで大きく変わっていきます。独身のときは誰かのシフトを代わってあげてもよかった。残業してもよかった。そうやって仕事に比重をおけるから、「職場で役に立っている自分」というものを感じられました。職場で堂々としていられたし発言もしやすかったです。でも産休育休は時間的にはブランクだし、復帰したら教えてもらうことも多く、時短勤務で固定シフトだと仕事における自尊心が持ちにくいです。子どもの都合で急に休むことや早退することもあると、職場で「申し訳ありません」と言う機会が多いのです。長い仕事人生、子育てしながら働くのは数年だとわかっていても、お互い様だとわかっていても。それはきっと子育てが終わったときに言えることだと思うのです。



子どもが生まれたら自分の時間がなくなることは自明の理で、友達と会うのも買い物するのも時間の制約があります。美術館や映画館など、気軽に子どもを連れていけない場所も多いです。単純に移動だけでも疲れます。子どもの体調で予定が変わることもしばしばです。




必ずしも前向きな変化ではないのです。それが否応なしにやってくる。授かりにくい人もいるし、定型発達ではない子どもの場合もあります。総じて、変化の大小はあれど今までと同じ生活ではいられません。それを保とうと思ったら多大なエネルギーや資金、資源が必要なので、私はそこに固執しないことを選びました。


「でも子どもを持つことはあらゆる損失を補ってもあまりある幸せがある」

そんなことが言いたいのではありません。子どもを持つ、持たないの分断を生みたい訳でもないのです。確かに子どもと生きる世界は新鮮で、「生きなおしている」ような感覚があります。私は産んでよかったと思うし子どもは掛け替えのない家族です。妊娠して後悔なんかしてないし、日々授かった大切な命に感謝しています。でもそれは、普遍性はありません。



「かわいい」と「たいへん」が別物で、矛盾しないように。失うものからも目を背けないことが大切だと思うのです。独身子なしの友人にも理解を示したいのです。結婚についてここでは多くを言及しませんが、少なからず変化をもたらすという点では妊娠出産子育てと同じで、万人がするべきとは思いません。みんながみんな子どもを持つべきだとも断じて思いません。



人生は選択の連続で、その過程で「前向きに諦める」とでも言いましょうか。ノーリスクノーリターンで、すべてを失わないまま何かを得ることなんてできないのだな、と感じています。


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