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読書記録

 武田砂鉄さんや頭木弘樹さんといった、世の中の空気では言わないほうが無難とされているようなことを言葉にしてくれる文筆家さんの本が好きだ。
若林理央さんの『母にはなれないかもしれない 産まない女のシスターフッド』もそういう本だった。

 まず冒頭に「このことを、私が書いていいのだろうか。」と書いてある。少子化対策がとられている現代だけでなく、女性は子どもを産むものであり、産めば幸せを感じられるし、状況が整っているなら産むべきだ、個人の判断であえて産まないなんてあり得ないだろう、という考え方は昔から根強くあって、無意識のうちにわたしの中にもしっかり植え付けられていた。若林さんもそれを分かっていながら、逡巡したり内省したりしながら書いている。だからこそ信頼して読み進めることができる。
 インタビューされている女性たちも、それぞれ様々なバックグラウンドや状況の中で、産まないことについて深く考えながら生きている。彼女たちの言葉に触れて、わたしの心に棲みついている重苦しい感情が少しほぐされて、許されたように感じた。
 わたしは産まない選択をしたというより、産んでみたかった(出産、子育てという体験をしてみたいという好奇心が強かった)けれど、体調をはじめとしたいくつかの事情によって産まない人生になっている。それは、やりたかったことができなかった残念さや悔しさだけでなく、自分には何かが欠けていて、人間として根本的にダメなところがあるから与えられなかったのではないかという、自分に対する評価の低さにも繋がっていると思う。もちろん頭では、産むこと/産まないことのどちらが良いも悪いもないというのは分かっているつもりだが、気持ちの問題ではまだまだ解決には至っていないし、手放せていない。だけど、この本を読んで、やっぱり同じようなことで悩んでいるひともたくさんいて、それを口に出したっていいんだ、と思った。
 ただ、ひとつだけ。
最終章に「すべての人が自由に人生をカスタマイズできる世の中になってほしいと思う」と書かれていた。わたしも本当にそうなったらいいと思う。だけど、悲しいことに、どんな人にも、生きていく中でどうしてもカスタマイズできないことが訪れる。本当に幸せな人生というのは、カスタマイズしようとするのではなく、どんな状況でもふわっと受け入れて、その中で楽しみを見つける、できることをやっていくことだと思う。何もかもコントロールしたい性格のわたしには、ものすごく難しいことなのだけれど。

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