画家ティツィアーノ 2/2
前回からの続きです。
彼の描く、肉感的で堂々とこちらを見据えるビーナスは、当時はスキャンダルにもなったのでした。あのミケランジェロでさえ、ローマでティツィアーノと会った後、天才同士の心理的な確執からか、「色使いは確かに上手いが、デッサンがなってない。」と認めなかったそうです。しかし、批判をものともせず、同時にいくつもの作品を描き上げてゆくエネルギーと、色に対する執着は、天分に恵まれた者だけの要素なのかもしれません。
宗教画の中で、その人物や風景、動物や自然などの色彩と構図で、実験的な作品を生み出し続けた彼は、肖像画のジャンルでまた類い稀な能力を発揮します。
ローマ教皇パウルス3世(1468-1549、ミケランジェロにシスティーナ礼拝堂の壁画を依頼した)や、神聖ローマ皇帝カール5世(1500-1558)やその家族の肖像画を制作し、超大物や宮廷御用達の画家としてヨーロッパ中に名声は広がりました。
カール5世は、よほどこの画家に敬意を持っていたのでしょう。ティツィアーノの作業中、手が滑り絵筆が地面に転がり落ちたのを、皇帝自らしゃがんで拾ったというエピソードが残っています。
ティツィアーノが、1576年に亡くなったとき、ある君主がつぶやいたそうです。『皇帝はたくさんいるが、ティツィアーノは一人だけだ』と。
彼の肖像画には、その人物の内面が凍結保存されたような、一瞬の永遠なる表情と心理が表現されています。
当時としてはかなりの長寿だったティツィアーノは、晩年は兄弟や親友、親交の深かったカール5世たちが亡くなり、孤独感におそわれます。特に最後の15年間は多くのことに煩わされていました。父親の財産を湯水のごとくつかう手に負えない息子の監督、カール5世から息子のフェリペ2世の代になって支払われない代金、ヴェネツィア国税庁からの税金の督促などなど。
生き続けるということは、天才画家でもこういう俗世間の雑事に悩まされるということなのでしょう。それでもティツィアーノは描くことを止めませんでした。見えにくくなった目と震える手を押して描き続けました。
1576年8月27日、ティツィアーノは自分の墓所に置くための作品『ピエタ』(死んだキリストをひざに抱いて悲しむマリアを表現したもの)の制作中に亡くなります。最後までその手には絵筆がしっかりと握られていたそうです。
ルネサンス時代のヴェネツィア派の巨匠、色彩の革命者とも言われ、ルーベンス、ベラスケスなどにも影響を与えたティツィアーノは、ペストが猛威をふるう中、86歳でこの世を去りました。
彼の最後の未完の作品は、弟子のパルマ・イル・ジョーヴァネによって仕上げられています。
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