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他人にわかってたまるもんか

離婚したとき
この思いをどうにか誰かにわかって欲しくて色々な人に身の上話をして回った。

ときには会社の人、
家族、親戚、
友人と呼べる人、
出会って間もないただの知り合いなんかにも
自分をこき下ろしゲラゲラと笑って話した。


得られる反応は様々だが
「ああ、呆れられてるな」と感じた。
感じたけど、止められなかった。
今考えると恐ろしいほど滑稽だし
だいぶおかしかったなと思う。


他人に呆れられて、
自分で自分を笑って、
手のひらにタバコを押し付けるみたいに
”大したことない”と心に焼き付けた。



他人からすれば
結婚してすぐに離婚し
子供だっていないし

”付き合って、同棲して別れた”
子供いなけりゃその程度よ、と言ってくれた人もいる。

気休めなのか
元気付けるためなのかはわからないけど
嫌な感じはしなかった。



私は私のことが一番信用できなかったので
この選択は間違ってなかったのか
一日になんども不安になった。

「あなたが選んだ道は間違ってないんだよ」と
自分じゃない誰かに何百回でも言って欲しかったけど

私如きのくだらない身の上話に付き合うほど
みんな暇ではない。


だから
されたことを思い出して、
心の中で悪態をついたり、
大袈裟に罵ってみたりして
「正しいに決まってるじゃないか」と自分を肯定した。

でも「正しいに決まってるじゃないか」という脳の指令を心の方は全力で否定してくるから
不安は拭えず24時間、自問自答し続けた。




ある日、
別れても地獄、一緒にいても地獄だね。辛いね。と親戚の叔母さんが言ってくれた。

私の心を
ずれなく的確に言い表してくれた言葉だった。





他人から見てどうでもいいことでも
当人には苦しくてたまらないことがある。

自分よりはるかに幸福で
恵まれたように見える場所に身を置きながら
その人は苦しんでいるので
腹の底から「うらやましい」と思うが

悲しみの深さも、苦しみの強さも
当人以外にわかるわけがないのだ。




曇天が続いた日の太陽のよう、
出口なんか見えず
しかもこの状態がどこまで続くのかもわからず

身体を脱ぎすて
絶叫し
暴れ回りたいような歯痒さを耐えて生きることもある。



一つの出来事によって動かされた心は
たくさんの色をした感情でうごめいていて
どの色をピックアップするかで
出来事のとらえかたは大きく変わる。

だから今日は思うのだ、
「あんなこと、別になんでもなかった」と。

でもたぶん明日はこう思うだろう
「あんなことで片付けられてたまるか」と。









YouTubeを観ていたら
たまたま中森明菜さんの難破船にたどり着き
流してみたものの

この曲はこんなに心細い歌だっただろうか?と思った。


作詞作曲を見てみると加藤登記子と記載があり、彼女が歌う難破船を流してしっくりきた。


恨みでねじ伏せるような狡さを感じない、
悲しいけど力強い

子供の頃母が車の中で流していた
加藤登記子さんの曲。

私の耳が覚えている難破船。
こんな歌詞だったんだなぁ。


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