見出し画像

ほとんどの人が知らない本当の意味での読書『本を読む本』書評

“これは「読む人」のための本である。「これから本を読みたい人」のための本でもある。つまり、「読む」ことによって知識を得、理解を深め、すぐれた読書家になりたいと思う人のために書かれた本である。”

(本書14ページより)

M.J.アドラー氏の『本を読む本』を読んだ。

『本を読む本』というキャッチーな書籍名に、どんな本なんだろうとワクワクしていたが、タイトル通り"本を読むための攻略本"のような本であった。

幼い頃から読書が苦手の私にとっては、機会がなければ絶対に手に取ることのないような本。なぜこの本を私が読むことになったのか。

実は素敵なご縁があり、フリーライターのオバラさんの元でライターとしてご飯を食べていけるレベルになるまで、修行を積ませていただけることに。

オバラさんは学生時代、どんなに忙しくても週3冊欠かさず本を読み、書評を書いていたそう。そんなオバラさんから、毎週一冊課題図書を出していただくことになった。(ありがとうございます…!)

このような経緯で本書を読むことになったのだが、これを読み終えたとき、本書が課題図書の一冊目に選ばれた理由が分かった。

本書を読んで、自分の中にあった読書に対する概念がガラッと変わった。衝撃的だった。

本を読む前に、まず読んで欲しい一冊。これを読むことで、その後の読書で得られる効果が何倍も違ってくるハズ。是非手にとっていただきたい。

「読む」という行為は、受け身の行為ではなかった。

「読む」という行為には、いついかなる場合でも、ある程度、積極性が必要である。

(本書16ページより)

本書を読み進めていく中で、一番最初にハッとさせられた一文。「読む」という行為には、いかなる場合でも読み手側の努力と積極性が要されるらしい。積極性と読書技術を身につけることができれば、私たちは生涯にわたって本から学び続けられるそう。

「読書なんて、何の努力も要しない受け身の行為でしかないだろ」と思っていたので驚き。私の読書の概念がここで破壊された。

「理解のための読書」がカギ

さらに、著者によれば、読書の目的は以下の2種類に分類できるという。

・情報を得るための読書
・理解を深めるのための読書

前者は、新聞や雑誌などを読む場合を指す。後者は、以前読んで完全に理解できなかった本を今一度理解を深めるために読む場合を指す。

本書によれば、重視すべきは「理解のための読書」の方であった。「理解のための読書」によって我々読み手のレベルは上がっていくらしく、「理解のための読書」こそが価値ある読書法だそう。

確かに内容を深く理解しようとして読書するには、ある程度の積極性が必要になってくる。実体験からも納得できる内容だった。

「点検読書」と「分析読書」

さらに著者は、読書を以下の4つのレベルに分類して話を進めていく。

・初級読書
・点検読書
・分析読書
・シントピカル読書

私はこの4つレベルがあるなかで、「点検読書」と「分析読書」がポイントだと解釈した。

点検読書とは、その本が時間をかけて読むに値するかどうかを判断することを指す。どうやら片っ端から沢山の本を読めばいいというわけではないらしい。我々読書は、まずはじめにこの点検読書を通じて、手に取っている本が読むに値するかを判断しなければならない。

そしてもう一つ重要なのが「分析読書」。分析読書における要点は以下の3つだという。

・その本は何を解決するのか
・開示されている解決策はなんなのか
・その解決策の根拠はなんなのか

ハウツー本と称される書籍たちは必ず、何かしらの問題解決のために書かれている。我々は、その本が、一体どのような問題を解決しようとしているのかを理解していなければならない。

何を問題としているのかを把握した上で、問題に対する解決策はどういったものか、解決策の根拠はどのように展開されているのか、まで、分析を進めていく必要がある。

単に情報を鵜呑みにしているようでは、受け身の読書になってしまう。分析読書でしっかりと以上の3つを見極めて、自身の頭で思考しなければならないと本書から教わった。

そして読書の終盤には、分析読書によって上記三点を理解した上で、果たして自分は本書の内容に賛成なのか、反対なのかを考えてみるといいらしい。

また、読書を通じて「?」と疑問に感じたことに対して、自身の頭を使って思考し、自分なりの答えを出してみることも重要であるそう。

読書嫌いの私が、本書で感じたこと

本書を読み終えて、自分がこれまでしてきた「読む」という行為を振り返ってみた。これまでの「読む」は何だったのだろう。自分が過去にしてきた読書の経験が、非常に勿体なく感じた。

本が本当に読者のものになるのは読者がその内容を消化して自分の血肉としたときである。

(本書57ページ)

夏休みの目標の一つに「本を30冊読む!」と掲げていたのだが、本書を読み、その目標が変わった。本を読み終えることが目的になってたことに、ここで気づいた。もったいなすぎる。

本から得た知識、言葉、表現を自分のものして初めて「この本を読みました!」と言える気がする。

本書を読んで、今後本との向き合い方が変わっていく気がした。本を読むことが楽しみになった。少しは積極的な読者になれるはず。

本には、読んだ人だけにしか得られない特権があると思う。本と積極的に向き合って読書した人と、要約チャンネルなどの動画を通じて本に触れた人。同じ本であっても、得られるの価値のデカさが天と地の差が出てくるんだろうな。

恥ずかしいことに今までの人生でほとんど本に触れてこなかったし、良き読者といえる読書をした経験が少ない。語彙や表現の引き出しが乏しいのも読書を避けてきたことが要因にあると思う。

個人的に、日本語は世界で一番美しい言語だと思っている。これほど表現が多様で洒落た言語に勝るものは他ないと思う。日本語を母国語として持ち生まれることができたのに、簡単な言葉ばかりに囲まれて生きている自分が非常に可哀相に感じた。本を読んで、自分の引き出しを増やしていきたい。

そして、本書を読みもう一つ感じたことがある。「読書」という行為は、ライターという職業に、どこか似ている。

取材の際、ライターが良きインタビュアーとして良い質問を投げかけなければ、取材相手の最大限の良さを引き出すことは出来ないし、良い記事にはならない。積極的にその人を知ろうと興味を持たなければ、受け身のインタビュアーでいれば、どんなに功績を残された方であっても、著名人であっても台無しになってしまう。読書という行為にも同じことが言えるんだ、と新たに気づきがあった。

これからは良き読者となり、そして良きライターにもなれるよう努力を積みたいと思う。私の人生を少しでも素敵な方向に変えていきたい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?