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「レ」インボーブリッジ封鎖できません

 目覚めると、清潔な真白い部屋に居た。仰向けの体を起こし足元の方を見ると、脛のちょうど上の方にテーブルがあり、そのまま顔を横にやると、細い管で左手首と繋がれた点滴バッグ越しに、茶色いサイドテーブルとその上の小さなテレビが見え、ここは病院なのだと気づいた。

 初めは、交通事故の類で怪我をしたのだろうと推測していたけれど、会社帰りに急に倒れてここまで運ばれたと看護婦は言ったから、事実はそうなのだろう。そして、運び込まれ手術をしてから五週間昏睡状態だったことも知った。

 会社帰りに倒れたと、看護婦は確かに言ったから、私は会社員なのだろう。しかし、目覚めた私を見舞いに来る者はおらず、病室に見舞いの品の一つも無い。本当に私は会社に勤めていたのだろうか。家族はいるのだろうか。

 私のことを知るただ一つの手がかりは、病院に運ばれた時に私が背負っていたという、このシルバーの硬いリュックだ。

 リュックを開けてみると、人参を模した袋に入ったポン菓子『にんじん』がパンパンに詰まっていた。”パンパンに”と言えば、リュックの生地が内容物に押され、リュックが全体的に膨らみを帯びた形状を表しているように聞こえると思う。しかし、このリュックはシルバーの”硬い”リュックであるから、伸縮性のある布生地のリュックとは違い、内容物が過剰でもゼロでも、外面はいつも変わらず工場から出荷された時の表情そのままである。

 ”硬いリュック”と言われても想像のつかない者もいると思う。私の”シルバーの硬いリュック”を想像させるには、『魔弾戦記リュウケンドー』の主人公、鳴神剣二なるかみけんじの愛用していた、あのリュックを思い浮かべる、というのが一番効果的であろう。あの、少しツヤの抑えられた優しい光沢を放つ銀色。永久に同じ面様を晒す彫像のように、姿形の凝固した強化プラスチック。その鳴神剣二のリュックを二倍ほどの大きさにしたのが私のリュックだ。当然これを手に入れた経緯なども記憶にない。

 パンパンに詰められたにんじんは、より多くを収納させるためか、隣り合うものと上下の向きを変えて整列されており、リュックには余白がほとんど無い。指を入れるほどの隙間もないため、リュックを逆さにして上下に振り、リュックの外面からは想像もつかないほどの大量のにんじんが出尽くした後、一枚のDVDが出てきた。白いベッドの上、にんじんが作るだいだいの山の頂上に、ポツンとシルバーのディスク。

 それはレンタルDVDのようで、バーコードのついた透明なケースにディスクが透けて見えた。ディスクには赤い文字で『踊る大捜査線 THE MOVIE 湾岸署史上最悪の3日間!』と印字されていた。私がそれを了知した瞬間、脳裡にある予感が霹靂の如く煌めいた。しかしその予感には具象性がなく、残された抽象的な部分も、鼓の余音のように消えていき、後には「何かを予感した」という事実だけが残った。

 看護婦はすぐにDVDプレーヤーを用意してくれた。それをベッド脇の小さなテレビに繋ぎ、プレーヤーの口に『踊る大捜査線 THE MOVIE 湾岸署史上最悪の3日間!』のディスクを入れた。入力を切り替え、再生された映像の初めに映った、コンピュータの胎内の様な映像をバックに”東宝株式会社”と出た時、また予感の鼓が響いた。

 打ち鳴らされた予感の鼓の音は、映画が進み続ける間も、その余音の絶えることなく、テレビに映し出された映像と並行して、心象に、厳かな神楽殿の空気中を振動させるようなイメージを私に与えた。

 映画が佳境へと進むほどにその予感も大きくなり、神楽殿の前方の左右に据えられた篝火かがりびも、強くなる振動に大きく身を動かしていた。

 しかし、映画はクライマックスを迎え、エンドロールに入ってしまった。私の心から予感は消え去り、ただ茫漠とした疑問が残ってしまった。

 モノクロのスチール写真と共に製作陣の名前がスクロールされていく。

「ララララ、サンバディトゥナイッ」

 エンドロールを見る目から自然と涙が溢れてくる。

「エン、アイウィッ」

 もちろん感動の類ではなく、自分を憐れに思う気持ちと、この世の不条理に対して。

「ネバネバネバネバネバネバ…」

 すぐに映像を停止し、プレーヤーからディスクを取り出し、透明なケースに戻した後、又にんじんの頂上へ置き戻した。

 神楽の雅やかな音色を湛えていた私の心象が、この白痴のような音楽に侵食されてゆく。それはまるで、いにしえとその文化は断絶されているが、しくも似た形態を持った、ダークウェブから生まれた21世紀の呪詛のように、環境保護コマーシャルの洗脳の仕方で私を蝕んでいった。

 そうして、私は今、屋上に来ている。転落防止のフェンスを乗り越え、地面を覗きこんだ時に、初めてこの病院の大きさを知った。地面まで3、40メートルくらいだと思う。「死は天国への架け橋だ」なんて幼稚な戯言で自分を正当化するほどの馬鹿でもないし、何も失う物の無い私は、意を決さずとも飛び降りた。

 頭を下にして空中を落ちる。空中で逆さまになった私を想像で俯瞰し、その姿を、リュックの中を”パンパンに”満たしたものの一つである、逆向きのにんじんと結びつける。

 一瞬、通り過ぎた病室の窓ごしに、クレヨンで虹の絵を描いている男の子と目が合った。果たしてこれくらいの歳の子供は、窓外を逆さまに落ちていく人間とその人間の死とを、結びつけることができるのだろうか。

 次に、先ほどまで私の居た病室が見えた。ベッドに隆起したにんじんの山が見える。夕日に山肌が照り映えて、余計に神々しい。そして山頂の『踊る大捜査線 THE MOVIE 湾岸署史上最悪の3日間!』
 
(天国への架け橋、少年の描いていた虹、虹の橋…)

 虹の橋と、それに伴った何かネガティブな行為が合わさったものが、私の予感の帰結なのではないかと考えている間に終わった。

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