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観葉植物を殺された日に気付いたこと

観葉植物が殺された。
正しく言うと、殺されかけている。

およそ10年ぶりに実家に居を移して、
ようやく3ヶ月といったところだった。

社会人2年目あたりに買って、
私の荒れた一人暮らし生活に安らぎを与えてくれていた観葉植物アンスリウムのフーケリー。
名前はフー子。
南国風の大きな葉とぐんぐん育つ気根がたくましくて、日差しが心地良い日には棚の上に移して、その葉の下で本を読んだりしていた。

そのフー子が、実家に戻ってからなんだか元気がなく、液肥を与えたり、日当たりの良いところへ持って行ったりとしていたが、病状は回復せず、私の大好きだった瑞々しい深緑の葉はぐったりと垂れ下がっていた。

犯人は父だった。
私が水をあげる様子がないからと、こまめに水をやっていたらしい。

夕方仕事から帰ってきた私は、フー子が植えられている鉢植えのじめっとした土にひっくり返るくらい驚き、慌てて両親に尋ねると、数日おきに水を与えていたという衝撃の事実が明らかとなった。

触らないでって言ったじゃん!
様子がおかしいって私が心配して色々やってたの見てたじゃん!
水やったならそう言ってよ!
でも私が手をかけてないって心配してやってくれたことなんだよね。
いやでも触らないでって言ったよね、私。
悪気があるわけじゃないし。
悪気がないで全部許されるわけ?

などなど頭の中を駆け巡った言葉たちは、あまりのショックに口から出ることはなくて、代わりに目から溢れ出した。

自分で言うのはあれだけれども、なかなか両親の前で涙を見せないようにしていた私がフー子の土をほじくりながら泣いている様子を見て、今度は両親がひっくり返りそうになっていた。

わたわたと何か喋っていたけれども、私はもはや聞く余裕もなく、夕食も食べずにフー子に付き添っていたけれど、
ふと、そういえば、最近、といってもここ数年だが、
私は何かにひたすら怒っていたような気がする。
祖母が亡くなった時も、会社を辞める時も、
友達がマルチ商法にハマった時も。

悲しみを感じるよりも先に怒りが湧いてきて、
己のことを、もはや「怒りの人」とか呼んでいたが、私は多分、
『悲しみを感じないように怒っていた』のだと思う。
悲しみで心がすり減らないように、怒りでコーティングして、感情を露わにすることで自分を守ってきた気がする。

そういえば、友達が待ち合わせにとんでもなく遅刻してきた時とか、父親から離職について刺さるようなことを言われた時とかも、本当は泣きたかったんだよな、と思った。

泣きたかったよな、ずっと。
泣くのを堪えていたら、いつしかそれを誤魔化すように怒るようになっていた。

でも、私の怒りはいろんなところに伝染していってさらなる怒りとして返ってきたこともあった。

「怒り」を使っても何も、本当に何一つ伝わらなかった。
すぐにウジウジと泣くことが良いことだとは思わない。自分自身、そういう人に向かって「すぐ泣く人って甘えてるよね」とか思っていた。
泣きたい時は泣けばいいんだと、当たり前のことに三十手前でようやく気がつけた気がする。
いや、気がついたと言うよりは、今まで自分自身さえ騙していた私の強がりをようやく落とせた気がする。

ずっと、傷つかないように怒って、
傷ついていない風を装っていたね。
傷ついたことに対して、傷ついたと正直であろうと思う。自分を騙さずに、悲しみや辛さに蓋をしないで、感覚を鈍麻させないで、できるだけ毎日を泣いて笑って、忙しなく生きていこうと思った。

ねえ、
フー子、悲しいよ。
3年間一緒にいたんだよ、フー子。
ごめんね、死なないでいてね。お願い。

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