無邪気にふるまえる子がただ羨ましかったのかもしれないという画期的な気づき
年々、生きやすくなっていく。
年々、大きく息が吸えるようになるこの感じ。
この感覚はどこから来ている? と考えていると、
自分のなかの "決めつけ" に気づいて
ひとつひとつ手にとって
いろんな角度から眺めてあげて、
もう要らないかなーと思ったら
静かに 淡々とさよならをする
そういう丁寧な "ひとてま" をかけてあげることを
少しずつ自分に許せるようになってからかな、と
今日改めて感じていました。
*
今日は、長男のおともだちを自宅に呼んで
みんなで甚平を着て花火イベントに行くという
個人的には大きめのイベントの日でした。
特段大きなイベントなんて思えないけど? という方も
いらっしゃるかもしれないのだけど、
きっと昔々のわたしならば
何か理由をつけて "選ばないこと" だったと思うから。
だから、
自分にとっては
大きなイベントの括りに入れてあげているんです。
でね、
当日に向けて準備をするのも
みんなの帰りを見送って自宅に戻ってからも
わたし自身のなかに
じんわりとした
"たのしい" "うれしい" が静かに漂っていて、
そんな自分自身について「とてもいま心地いいなぁ」と
感じられている今日なのです。
これを「好き」とも言うんだろうな。
(そんな心地にさせてくれた
ママ友にも子どもたちにも、
フォローしてくれた夫にも、感謝🎁)
そんな変化の要因があるとしたら
きっといくつも重なっていて、
ひとつは、
子どもたちのひとつひとつのふるまいに
以前よりも反応しなくなったことが
関係していそうです。
もちろん、守ってほしいラインはあるから
なんでもOKとしてるわけじゃないけれど
「あれしちゃダメ、これしちゃダメ」
よりは
「そういうこともあるよね」
のラインが ずずいっ と
押し上げられる感じ というと
伝わりやすいのかもしれない。
わたし自身が小さいころ、
親からしっかり
「やっちゃダメなこと」
「気を付けなければいけないこと」を
たくさん教え込まれていて、
そこを踏み外しちゃいけないし
踏み外しちゃったときに自分に貼られるレッテルに
耐えられない、みたいな感覚があったのだけど。
(あの子は行儀悪い子とか あの子はダメな子とか
そう言われちゃうのは嫌だ、と)
( "あつかましい子" という言葉を
よく親が使っていたのを思い出すのですよね)
だから、
わたし自身もまた
言われたことをしっかり守ろう守ろうとして、
自分のこうしたい・こうやりたい よりも
「教えられたことに忠実にいなければ」と
力が入っていたような気がするのですよ。
もちろん、
ちゃんと教えてもらえていたことで
恥をかかなくて済んだこと
相手に迷惑をかけずに済んだことが
きっとたくさんあったわけだから、
それはそれで
まわりまわってやっぱり「良し」としてあげたいし
親にもしっかり感謝したいよね と
今は思えているのだけれど、
それは横に置いておいたとして
と気づいたのです。
めちゃくちゃ画期的な気づきw
羨ましかったんだよね、とか
本当はこうしたかったんだよね、とか
そういうきもちも
長い時間をかけながら
受け取ってあげられるようになってきて、
そうこうするうちに
言動のひとつひとつをすぐイコールで
「〇〇な人」「〇〇な子」と断定する癖が
少しずつすこしずーつ和らいできて、
そういうこともあるだろうし
そうじゃないこともあるだろうし
と、
長い視点で
自分もひとも捉えられるようになってきた
その成果が出てきたのかもしれないな、と
思えています。
もうさ、
決めつけがびっくりするくらい本当に多かったから! と
笑いたくなっちゃうし、
どうしても抽象的な今日の記事は
みなさんに伝わるだろうか…と気になっちゃうけれども
そんな日もある。
そんな自分を許せる日があってもいいじゃない。
そういうちょっとした積み重ねで
生きやすい毎日、息がしやすい日々が
創られていく気がしています。
(最後まで読んで下さりありがとうございます…!)
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◆子育ての時間って『今しか』ない時間じゃないかもしれない。
それでも、『今』のあなたも、『今』の子どもも
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◆もっともっと自分の可能性を信じてみたいあなたに。
"あなた自身" に しっかり寄り添う7時間です。
コーチング、子育て、自己認識(自分を知って、愛すること)、仕事やキャリアについてなど、これからも引き続き綴っていくために。あなたにじんわり届く記事を書き続けていくために、有意義に使わせていただきます^^