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思い出して、捉え直して、取り戻せたらいいなと思う

いくつかのデイリーの取り組みのひとつとして、
過去自分がやったこと(関わったことなど)をいくつか書き出す、ということをしている。



『やったこと』といっても
そんなたいそうなことを書こうとしている
わけではない。

コーヒー飲んだとか、着替えた、とか、
なんでもいいのだ。

それでも、
やってみるとなかなか難しい。

日々いろんなことをやってはいるけれど、

とるに足りない“なんてことないこと”や、
当たり前すぎてほぼ無意識にやってることって、
なかなか思い出しにくいのだ。

それでもなんとか捻りだして書き出してみると、

なんにもやれてない、、、
という思考になりがちなわたしも、
「意外といろいろやってたな」と思えて
いいよね、と思っているのだけど。

今日ここに書こうとしたのは
そのことではなくて、


幼稚園のころ、小学生のころ、
中学、高校、大学、
社会人になってからのこと、と

昔に遡って『過去やったこと 』を
思い出そうとしたときに



過去の記憶がとても限られている



ということについてだ。



だからなんだ、という話かもしれない。

歳をだいぶ重ねてきたのだから
記憶も薄れてくるのは当たり前だし、

昔のことなんだから日々の細かいことを思い出そうしてもむずかしい。
というか、無理なのだから。


それにしても、

思い出せるのは
これまで何度も思い返してきた
馴染みのある過去のできごと、がほとんど。

もっといっぱい、
いろいろ、いろいろあるはずなのに、
それ以外はほとんど思い出せないのだ。

ということで、

今残っている過去の記憶(=無意識にも抱え続けてきたこと)って、日々起こっていたたくさんのできごとや経験のうちの、ほんのひとかけらだよね、
ってことに改めて気づく。




その自分がきりとってきた“一部分”を、

(嬉しかったことだったりのいい思い出はもちろん、
辛かったこと、ショックだったことも)

良くも悪くも、ときには執着したりもしながら
握りしめてきたのだ。


そしてそれは、
今の(これまでの)自分を自分たらしめるに
大きな影響を及ぼして
きたはず。



そう考えると、


無意識にも都合よく切り取って、
みないようにしてきたり記憶から追いやってしまったこと(=今はすぐに思い出せない記憶)の中にも、
取りこぼしてしまった大事なもの
があったのかもしれないし、

記憶に残してこれなかったパーツを取り出し、
あのころとは違う視点でみたときに、
これまで気づけなかった大事な景色がみえるかも
しれない、と思う。


ドラマのAnother Storyをみるみたいに。

だとすると、
できるだけ思い出したいな、と思う。


過去の記憶は消去されたわけではない。
自分の中のどこかには
残っているはずなのだから。

まずは
わかっているだけでも
いいのかもしれない。


いまある過去の思い出(認識)って
「全体に対しての一部分」でしかない、
ってことを。




そうして少しずつ取り戻して、

今ある記憶のなかのできごと含め、
必要に応じて捉え直し、

受け入れていったらいいのかもね、と思う。

必要ない重りや鎧を取り外して、
今よりもっと「自分を生きていく」ために


***

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