大事なことを大事にできていないかも…という人に刺さるドラマ『僕らは奇跡でできている』

火曜ドラマ『僕らは奇跡でできている』が好きだ。
高橋一生さんが好きだから観始めたけれど、すごく丁寧に作られているドラマで、毎回グッと引き込まれている。

変わり者の動物学者という役はとっても一生さんに合っていて、見ていて愛おしい。
常識外れの言動が多い彼に対してイライラするって感想もあるみたいだけど、それはきっと、私たちが人と関わるときに当然のように気にしてしまいがちな「空気を読む」という見えない圧力を、それこそ当然のように、いとも簡単に飛び越えてくるからだと思う。
なにそれ、あり?っていうような、「飛び道具」を使われているような気になるのだろう。みんなここを通っているのに、そっちのルートから行っちゃうの?ずるい!みたいな。そんな決まり、ないのにね。

個人的に、最近よく「生きづらさ」を抱えた人たちの話を耳にする。それは所謂発達障害とかアスペルガーとか、近年ドラマでもよく取り上げられるようになったような。
私は知識があるわけじゃないけど多分「何も知らない」という人よりは馴染みがある。近しい友人(息子の幼稚園からの同級生)にアスペルガー&ADHDの子がいるからだ。そのお母さんが実際困っている様子なんかも日々目にしたり耳に入ったりしていたので、そういう「生きづらさ」は私にとって身近なこととして考える機会が多かった。

このドラマの主人公・一輝は、ドラマの中でハッキリと説明されるわけじゃないけど、それに近い特性を持ってる人なんだと思う。
純粋に生き物が好きで生き物については誰よりも詳しいし何よりも夢中になってしまうけど、他のことがすべて疎か。
そういうひとたちは見た目にわかりやすい「障害」があるわけじゃないから一見普通なんだけど、自分のやりたいことしか見えないというそのまっすぐさゆえに、周りから変人扱いされてしまったりイライラされてしまったり、すごく生きづらさを抱えている。

この特性は持って生まれたものだし簡単に変えられるものでもないし、もちろん本人に悪意もない。なのに周りからは勘違いされたり理解されなかったり。
でもひとつひとつに一生懸命だし、悪気ないし、ちょっと我が儘で感じ悪くなっちゃうところも、それはまるで子供のようで憎めない。
そしてそれは一生さんが演じるとめちゃめちゃキュートで愛おしい。

大学での、動物の生態についての授業のときなんか、「おまえがうれション出そうやんけ」ってくらいの輝いた目でウハウハ講義してて、それがめっちゃ萌える。受講してる学生引いてるし、ちゃんと出席取れないから事務局長からいつも怒られちゃうし。
今、3話まで放送されているけど、私はもうすっかり一輝が大好きだ(いや私は最初から好きだったわ)。1話のときに「イライラする」ってレビューしてた人も、今は少し違う感想持ってるんじゃないかな。

はじめは変わり者の一輝に引いてた学生たちも、最近は彼のことを、憎めない、おもしろい人だと好意的に受け入れ始めているし、魅力を感じ始めている。
彼のような特性を持つ人を理解できないタイプの象徴として描かれる歯科医師の育実(榮倉奈々)も、徐々に、周りを振り回してばかりの変人に見える彼こそ、実は普通の人が見落としがちな大事なことが見えている人なんじゃないか、ということに気付かされていく。



最新話(3話)の録画を観る前、私は少し落ち込むことがあって、でもまあ録画も消化したいし、と思ってテンション低いまま観始めたのだけど、冒頭、大学で講義をする一輝の、動物の話をしているだけで嬉しそうなその佇まいを見ているだけで、秒で癒された。私、なんて簡単な女!

いつも一生懸命でいつもワクワクしてて、そんな一輝を見ると羨ましくて突如泣きたくなる。私の精神状態が不安定だったからという、見る側のコンディションの問題ももちろんあるが。
このドラマは例えば病気ものとか例えば悲恋ものとか、「ここが泣けるぜ!」っていう展開が予想できるドラマじゃないから、ただ物語を受け取っているだけの無防備な状態でいたら、いきなり急所にストレートぶっこまれた、みたいな予期せぬ揺さぶりが多いのである。

さっきまでいた自分が悩んでいた世界と、画面の中で一輝がかがやく(名前の通りだ)世界が、あまりに遠くて、でもそれがあまりに欲しくて、きっと込み上げてしまうんだと思う。

育実の歯科クリニックで一輝と知り合う小学生の虹一(こういち)くん。彼も、一輝と似たところのある男の子。
学校で、家庭で、「どうしてみんなと同じようにできないの」と、幾度となく叱責される。興味のある動物のことを聞いて欲しかったり、描いた絵を見て欲しくてお母さんに話しかけるも、「そんなこといいから宿題しなさい」と言われてしまう。
学校や周囲の大人たちは、ごく当たり前のようにそう振る舞い、それを間違ってるとも悪いとも思わないところが罪深い。

一輝も虹一くんと同じような幼少期を過ごしたようだった。
本人が「僕はなかなか人と仲良くなれない。でも一番仲良くなりたかった人とやっと仲良くなれた。それは僕です」と言うことからもわかるように、彼は大人になってようやく、自分らしく生きられるようになったのだろう。
生きづらさを抱えていた幼少期の一輝は、陶芸家?の祖父(田中泯)に唯一理解され、祖父のもとでは自由にのひのびと生活していた。
一輝にとっての祖父のように、虹一くんにとっては一輝が唯一の理解者であり友達なのだ。

学校でも、常に気になる生き物を追いかけて観察したい幼少期の一輝。歌うときは身体を揺らしたい、音程はめちゃくちゃ。そんな一輝に、教師は「授業中は席について」、「身体、揺らさない」などと注意する。
自分たちが過ごしてきた学校という場所を思い出せば、これはごく当たり前の注意であると思う。だが、一輝や虹一くんの側から見れば、学校はなんと生きづらいところか、と思ってしまう。

そんな一輝を、自分のもとでは好きなようにさせてやる祖父。思う存分、自分自身でいていいと、肯定してあげている。
それを見る度、自分の子育てを思い返し、胸が痛くなる。私はしっかり我が子のことを、見てあげられているだろうか。どうして怒ってばかりになってしまうのだろう。家にいるときくらい、あの子があの子のままでいられるよう、自由にさせてあげればいいんじゃないのか。そんなことを思う。

3話で、動物園のなかで夢中になるあまり迷子になった虹一くんが、やっと一輝たちのもとに戻ったとき、意気揚々と、動物を観察して気がついたことを報告したり、描いた絵を見せたりする。
そのときの2人は、まるでそこには2人しか存在しないみたいに、他の者の入る余地がないほど共鳴しあっている。2人は紛れもない「仲間」であった。
大人と子供、とか、教育者と教え子、とか、そんな関係性は、同じものに夢中であるというシンプルな事実の前では、全く必要とされないのだ。

そのときの虹一くんのキラキラした笑顔。虹一くんの報告を聞いては繰り返される一輝の嬉しそうな「了解!」「了解!」の声。それを見て私は思う。こんなに純粋な心を持つ人とずっと一緒にいたら、こっちの心が持たなくなりそうだ。それくらいに、超絶、ピュア中のピュア。

自分の子がああいう特性を持つ子だったら、私はおかしくならずに育てられるだろうか。あんなにピュアで、正しくて、疑いがなくて。私はその子から逃げずに向き合えるだろうか。自分にそんな問いを投げかける3話のラストだった。

一輝の純粋さや動物や森のシーンで癒されたり、ハッと大事なことに気付かされたり、我が身を振り返って苦しくなったり、でもやっぱり優しい気持ちになったり。
心の中が、穏やかなのに忙しい、『僕キセ』は、そんなドラマだ。今夜の第4話も楽しみである。

余談ですが、私はよくnoteの「コンテンツ会議」にタグをつけて参加していて、公式コンテンツ会議でも、ありがたいことに、何度か取り上げてもらっています。

4ヶ月ほどやっている自分のnoteのなかでも一番数も多く、なにより、好きなものについて、好きなようにやいのやいの言う「コンテンツ会議」という場所がとっても好きなので、コンテンツ会議に参加した自分の投稿を、マガジンにまとめることにしました。
コンテンツが好きな方、良かったら遊びにきてくださいね。

他にはnoteのいろんなコンテストに参加したり、エッセイのようなものを書いてみたり、短編小説に手を出したりもしています。いろいろ読んでいただけたら嬉しいです。

#エッセイ #コラム #ドラマ #僕らは奇跡でできている #高橋一生 #コンテンツ会議 #子育て #発達障害 #アスペルガー

この記事が参加している募集

コンテンツ会議

子供の就寝後にリビングで書くことの多い私ですが、本当はカフェなんかに籠って美味しいコーヒーを飲みながら執筆したいのです。いただいたサポートは、そんなときのカフェ代にさせていただきます。粛々と書く…!