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内藤正典(2018)『限界の現代史ーイスラームが破壊する欺瞞の世界秩序ー』集英社新書

今もガザ地区では激しい戦闘が行われていることだろう。今回、私の研究対象であるEUは即座にイスラエル支持を表明した。ロシアによるウクライナ侵攻に対しては、強硬姿勢でロシアを非難したが、こちらはそういうことらしい。
そもそも冷戦後、西側(市場経済・民主主義)体制は一時的に、敵を無くした。これがグローバリゼーションの進展を促したが、他方でBRICsをはじめとする新興国の経済成長や、国境を跨いだテロ組織の伸長を産んだ。
人間とは、愚かなものであり、敵がいると生き生きするものだ。人間には本来そのような感情が埋め込まれているのかもしれない。
このグローバル化の中で、西側先進国が共産主義に変わって敵とみなしたのがテロ集団であった。もちろんこれは、国民の生命と財産をまもる国家政府の原理原則としては正しい。しかし、テロ集団が生まれた理由について、テロ集団が持つ原理原則について、もっといえば領域国家というシステムの暴力性についてはあまり考えてこなかったのではないか。
私はもちろんテロ集団を容認するものではないが、結果が起きるには必ず原因があり、原因と結果の間にはプロセスがある。要は、そこを見ず、結果だけを静止画のように見て、人々は善悪を判断しているのではないか、という問題提起である。
さて、本日紹介する内藤の書籍の一節を紹介しよう。

これまで、ヨーロッパ諸国が「普遍的な価値」として共有してきたはずの「自由」や「平等」や「人権」は人類すべてに適用されるものではなく、地理的条件や、文化、宗教の違いが、その「適用の範囲外」にいる人たちを作り出している……。シリア内戦によって流れ込んだ100万人を超える難民の存在が、図らずもあぶりだしたのは、そうしたヨーロッパ社会の限界であり、彼らの「正義」の限界であると言えるかもしれません。

内藤2018: pp.25-26

イスラーム世界の政治およびEU=イスラーム世界関係において日本を代表する研究者である内藤正典は、このように述べる。
私は、ウクライナに対する西側の対応と、ガザ地区に対する西側の対応の違いに、思いを馳せる。そして、その理由がどこにあるのかを考える。実に不快な思考実験である。
また、内藤は述べる。

異なるパラダイムの存在を認め、国家という枠組みを超えて、その差異を柔らかく内側に包み込むことのできる「インクルーシブ(内包的)なグローバリズム」こそが「本当のグローバリズム」として、新たな秩序を構築してゆくための、基本的なフレームワークだと私は考えています。ここで基本とすべきは、人間としての尊厳だけです。

内藤2018: p.208

とても美しい文章である。私は逆算して考えてみたい。
人間の尊厳を必ず守る社会を作ろうとしたら…。多くの困難が待ち受けるかもしれないが、インクルーシブなグローバリズムに近づけると思う。
実はそんな学校を今作ろうとしている。

近い将来、日本にも多くの外国人がやってきて、勉強や研究、さらには労働を共にすることになるだろう。小さい違いで差別したり、下手なアイデンティティーを形成して相手を毛嫌いしたりする、そんな現状を教育から打破したい。
みんな違うけど、みんなには尊厳がある。
先生は、生徒・学生の尊厳を大切にする。
先生は、生徒・学生の自由を尊重する。
先生は、生徒・学生の希望の実現に協力する。
どんなことでもいい。得意なことを見つけて、磨いて、飛び立っていく。
そういう学校を、今、作ろうとしている。

世界遺産熊野古道の真ん中にバイリンガル・グローカル教育の小中一貫校ができる予定である。共感いただいた皆様方からの厚いご支援を賜りたく存じます。

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