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ラピッドサイクラーという言葉の重みとこころの病気について。

昨日の診察ではひさしぶりに病院が空いていたので、
割りとゆったりと先生と話すことができた。

そこで、わたしは活動的な時期と塞ぎ込む時期が短いスパンでやってくるので、こういうことってあるのですか?と聞いたら、

「いわゆるラピッドサイクラーだよね。しんどいよね」という言葉が返ってきた。

そういう症状があることは知っていたけれど、まさか自分がそれに当てはまるとは思っていなかったからちょっとショックだった。

やめておこうと思ったけれど、ネットでラピッドサイクラーについて調べてしまい、難治性の双極性みたいなことが書かれているのを読んで落ち込んだりした。

わたしは、自分の双極性はそこまで深刻ではないと考えていた。
双極性っていうか、気分の浮き沈みが激しい性格に病的な部分がちょっとくっついているように感じていた。

秋くらいから今までずっと取り憑かれていた概念から解放されたり、ネガティブのサイクルから抜けて光が見えた感覚があったのだけれど、最近寒さやPMSもあってかうつになっていた。

病名で括られるとしんどいなと思う。何だかもう治らないような、無力感だったり、絶望感だったりを持ってしまう。その言葉に押しつぶされそう。


自分の中では、双極性と括られてはいるけれど、気分が落ち込む理由や気分が上がる傾向は分析できている。それに対処がおいついているとは言えないけれど、周りに迷惑をかけながらも何とか日常を送れていると思っている。

さらに、一般の人の生活サイクルに寄せていったり、活動量をあげていきたいし、ゆくゆくは一般就労もしたいと思う。

ただ、今日みたいに昨晩気分が落ち込むことがあって、寝てもすっきりせず朝から憂鬱で動けなくなったりすると、こんなに気分や体調に浮き沈みがあって本当に仕事ができるのだろうかと不安になったりする。


ネットの情報をみていると、精神の疾患は私みたいに十年以上も続いているなんて少ないのだろうか。こじらせているといえるのだろうか。

ほんと、もっと早くすっきりと良くなると考えていた。

支えてくれている主人も、きっとだんだんと辟易していると思う。


良くなっていると思うんだけれどなー。
よくきくけれど、行ったり来たりなのかな。
多少の後退は目をつぶって、全体としてどうかを感じていきたい。


そしてわたしはいわゆるラピッドサイクラーではないと信じたい。
大きな概念としたは当てはまるのかもしれないけれど。
いろんなことがあって、気持ちにむらがあるのは普通のことじゃないか?

少しずつでいいから、自分が前向きに感じられることをコツコツと積み重ねていきたい。スコーンと何かか突き抜けて気分が晴れ渡るみたいなことを考えることもあるけれど。

両方の側面から。自分が芯から、内側から情熱やエネルギーを傾けられることだったり、それを湧き上がらせることだったり。

生きるエネルギーに着火できるように、自分を奮い立たせたりモチベーションを保てるようになれればいいなと思う。

環境や気持ちのコントロールをしていきたい。それは病気だろうとなかろうとずっと必要になってくることだと思うから。

失った自信だったり、生きる気力だったり、熱意だったり、頑張ろうって気持ちをまた抱けるようになれたら良いなと思う。

(ただ、多分いまの状態だとエネルギーがありすぎるのも問題というか。傷口が避けたり爆発する危険もあるから。適度なエネルギー量や加減も大事なのかなとは思う。小さな暮らしで。)

こうして書いてみて思うのは、やっぱりこころの芯の部分なんだと思うな。
ずっと気持ちが晴れないと言うか、病を引きずっているのって。
傷ついたところが、癒やされていないというか、ケアされていない。
匿われていないような感じ。
そこの部分がちゃんと保護されないと、何をしても治ったようでいてもまたぶり返すような気がする。

もっとちゃんと守ってあげないといけない箇所があるのかもしれない。大切にしてあげる部分。こころの中心。それが霧がかっていて薄っすらと見えないでいる。

じゃあ、傷ついたところを取り出してみて治療できるかっていったら別で。
すごく複雑なんだと思う。
うまく取り出して上げることが出来ないから。

自然と癒えるのを待つか、元気を取り戻すのを待つか、体に良いことをひたすらにするみたいな。体全体の気力をあげていく感じ。

弱っている状態だから、こころに負荷がかかることはしないほうが良いんだと思う。目には見えないけれど、多分元気な人ほど回復できない。


ずっとこのままなのかなと思うことがある。(きっとそんなことはない!)
それでもやっていくしかないよなとも思う。病気になってしまった以上。傷ついた箇所がある以上。つらいけれど。自分でもどうしたら良いか分からないけれど。


大丈夫だよ。時間はかかるかもしれないけれど、ずっと待っているよ。
そういう問いかけが、自分には必要なのかもしれない。

肝の部分がやっぱりまだ完全には治りきっていないのかなって。
出てくる度に血を抑えて、養生して。
上手く付き合っていくしかないのかなと思う。

そこの部分の化膿の仕方って、誰にも分からないっていうか。
いつ膿が出るのか分からなくって。
急に治るかもしれないし。

辛い時の過ごし方とか、相談先とか
もっと持っておいたり。ケアの仕方や血が出た時の応急処置を知っておく。

仕事もしたいけれど、無理はせず
自分の体調に合った働き方をゆくゆくは選択していっても
良いのかもしれない。

何も恥ずかしがることはなくって。
そういう病気もあるってことなんだと思う。

上手く付き合って、治していけたら良いと思う。

芯の部分が何かに喰われて傷ついてるから、
治るのを待って、自分や環境に励ましてもらいながら、
出来ることをしていくしかない。

傷つくことは辛いけれど、
病気は痛いけれど、大丈夫。
生きてれば、良いことも沢山ある。

それが何かはざっくりとしか分からないけれど、
傷を抱えて歩くこと、
一生かかってでも傷を癒やし続けること。

もっと自分のこころを中心に据えて、自分の気持ちを大切にしてあげること。本物の自分を愛することが必要なんだと思う。真実に触れる瞬間を多く作れるようにしたい。

自分軸で気持ちのままに生きることを許せるようにしたい。その延長線上に周りを思う気持ちだったり、相互理解を推し量りたい。

たぶんね、色々繊細すぎて、周りを伺いすぎて
出てこれていない本音の自分や本質の部分がもっとずっとある気がする。

理解できなくていいから、存在だけでもちゃんと受け入れてあげたい。

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