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短歌 いろんなこと

立ち止まるために理由が要りますか進化を拒否し生き延びている

「遺影にはどうか加工をしないでね」いろんなことに気づいてしまう

ネクタイがあなたを絞める日は近い出来得る限り遠くへ逃げて


おかしいことを「おかしい」と思うこと、ましてやそれを発信することに対して、ますます息苦しさを覚えているのは、果たして私だけなんでしょうか。。

主張を押し付けあったり、相手の至らない点を突いたりして鼻の穴を膨らませるのは、大人の所作じゃないと思うんだけど、、(ゆえに「はい、論破w」は、お子様のうちに卒業しておいてほしい)。

……というような話を、つらつらと、桜の下でしていました。情緒よ。

ノンアルモードで昼の公園の隅っこで、レジャーシートを広げていた私たち。早くも葉桜めいた木もあって、あんなに開花を待ち焦がれたのに、散るときはあっという間だなーと。

参加メンバーのうち、ちょうど社会学分野を研究している(というより、本人曰くただの「流浪の好事家」だそう。かっこよすぎないか)H氏が、あたりめを食いちぎりながら(ノンアルです)、私のぼやきにこう応じてくれました。要約すると、

「『偏差値』があたかも重要なものであるかのような社会が、連綿と続いている。でも、それは人間に半ば強制的にあてがわれる、数多ある『ものさし』のひとつに過ぎない。では、なぜ『偏差値』がもてはやされるのか。それは、管理者サイド、つまり為政者や権力者にとって『都合のいい』ものさしだから、という一面が大きいだろう。

だから、そこからはみ出す存在を、マジョリティはひどく恐れる。というより、恐れるように抑圧が作用するような装置が、社会にはたくさん仕込まれている。そのガソリンのひとつが、『偏差値』。

『恐れ』はしばしば、対象を排除する正当化事由に利用される。身近な例ならいじめ。マクロな話なら侵略や紛争に、この価値観のフレームは置き換えることができる。

笹塚、つまり、そういうことなんだよ。きみは何度も派手にはみ出して、その痛みを知っているだろ。で、じゅうぶんタフになった。

だから、『おかしい』と感じたことは素直にそう受け取って、ちゃんと自分の言葉で発信しな。きみなら、できるよ」

あたりめをぐいっと食いちぎりながら、H氏は立板に水とばかり、どこかノリノリで話してくれました。

私は、そのH氏のミニ講演会に圧倒されつつ、

「うん、なんとなくだけど、実感あるよ。ほら、性格が悪くて要領がいいほど、のびのび暮らせる社会だし。その逆もしかり、で、みんなしてピリピリ苦しくなるのは、まぁ、さもありなん、みたいな」

と浅学丸出しで言ったのですが、それに対して、花見に参加していた一同(といっても総勢5人)が思いっきり爆笑しました。

「わかる!!あの▫️▫️▫️(自粛)って企業のCEOだかなんだかが、昔、私の同級生をいじめ抜いてた奴でさ。教師とか大人の前では優等生キャラ演じてたクズだったんだけど。漫画みたいなことってあるんだなーって、嫌気がさしたことがあった」

「あー、それって、私にデートDVかましてた奴が▫️▫️省(自粛2)の官僚になってて、福祉分野の政策に携わってるのと似てない? やば〜!」

ひいいぃぃ……! みんな、よく、生き抜いているよ……。

少なくとも、私は今のパートナー(=夫)が暴力やハラスメントから縁遠い人で、本当によかった。。と思うとともに、どんだけ人権感覚のハードル低いんだ、と思わずにいられませんでした。

満開の桜
ほぼほぼ満開、あとは散るのみ

そんな人の憂さなどどこ吹く風、桜は見事な姿で私たちの目を楽しませてくれました。

ノンアルとはいえ、今日のうちにお花見ができてよかったです。なぜなら!

明日終日会議だからです😭がんばるわよ、がんばってみせるわよ!くすん。

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